【問】日本国を統治する者としての相応しい資質とはどのようなものですか?

質問への回答
05 /18 2020
 日本国を統治する者としての相応しい資質に関して、日本国憲法がその実現を目指す現代的諸価値(自由・平等・公正)が人類普遍の到達目標に合致する適切なものであると仮定してお話しします。
 1 はじめに
第二次世界大戦を境にわが国は日本国憲法を獲得し、現代国家へとその歩みを進めました。日本国憲法の制定により大きく変わったのは、一般に日本国憲法の三大原理と称される部分です。即ち、天皇主権から国民主権へ、法律の留保付き人権保障から天賦人権論に依拠する基本的人権の尊重へ、そして帝国主義から絶対平和主義への変更です。

 憲法の建前としては、日本国憲法前文において昭和天皇の奏じられる通り、大日本帝国憲法からの改憲の体をなしてはいますが、主権者の交代という核心的要素の変更が為されていますので、実質的には新憲法の制憲と解するのが妥当です。その理解は戦後日本が戦前のそれとは違う全く新しい枠組みの国家として再出発したことを意味します。そしてその新生日本においては、普遍的かつ原則不可侵の権利として基本的人権が認められ、同時に国際平和貢献の手段として絶対平和主義を採用しました。以下、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義がもつ意味について概観した後、現代日本の統治者が備えておくべき特性ないし理解しておくべき概念について取りまとめたいと思います。

 2 国民主権
 近現代国家と中世以前の国家(近世・前近代を含む)の最大の違いは国家の成り立ちにあります。旧態の国家の権力正統性の根拠は宗教的あるいは血統によるものでした。西欧で言えば、キリスト教の唯一神から王権を授けられたことが権力の正統性根拠をなし、大日本帝国では万世一系の天皇の血筋を引いていることが正統性根拠を形成していました。いわば、神秘と血統が国家権力を正統たらしめていたのです。
 他方、近現代国家は、ルソーら社会思想家の提唱した社会契約説に基づき、立憲主義に依拠して国家を構築します。社会契約説とは、その地に住まう人々こそが全ての始まりであり、人々が本来各々具備している主権の一部を委譲して権力機構を構築し、人々の集合体である社会の安定的な運動を可能ならしめる為に、自ら構築した権力に膨大な行政事務を管理・執行させるという体裁をとります。国民の遵法根拠はここに求められるのであり、かつては神聖な君主の定める方であるがゆえに人はそれに服しましたが、近現代国家においては、国民として人々が自らの意思で選出した代表者の意思の結晶であるが故に、それに従うという構えに構造が180度転換したのです。
 ごく簡単に言えば、近現代国家における権力者は、国家の主人たる人々(=国民)の福利の為に執務を行う執事であって、国民が納める税とは、いわば国民の福利増進のために権力が活動できるようにするための主人からの資本の提供であり、同時に当該責務を果たしたことに対する報酬なのです。よって、現代日本の統治者たる者は、自らの行動の全てを「国民の福利増進の為に」振り向けることができ、その目的の為に滅私する心構えのある者でなければならないという事ができます。

 3 基本的人権の尊重
 わが国は、人権という概念を明治期における欧化政策において外国から導入し、帝政に適合するように一部を改変しながら社会に適用する過程を経たため、本来的に人権意識が欧米のそれよりも低い傾向が見られます。その実、大日本帝国憲法では、臣民の権利は第2章(大日本帝国憲法第18条から32条)に規定され、そのすべてに「法律ノ定メル所ニ依ル」という留保が付されておりました(法律の留保)。すなわち、当時の人権は慈愛に満ちた君主たる天皇から下賜されるものだったのです。
 しかしその概念は日本国憲法制定時に覆滅し、欧米における天賦人権論が日本にも導入されました。天賦人権論は周知の通り「人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、個人として尊重されるべき神聖不可侵の権利を有しており、個人間の人権の衝突によって社会全体に不都合を生じる場合の外はいかなる侵害も許されない」とする考え方です。しかしながら、わが国は中世・近世からの転換期であった明治期同様、現代への転換期においても人権意識を外国(現代の場合は連合国)から半強制的に導入させられたため、天賦人権論を個人主義的な放任主義と誤解している節が各所に散見されます。この個人主義的放任主義をもって解釈される人権意識は、現代社会を蝕む価値相対主義と自己責任論の淵源となっていきました。
 更に、天賦人権論には本性的な難しさがあり、それが日本人の人権意識の高揚を妨げている点も否定できません。というのも、天賦の人権が本当にあるのかどうかは実のところ客観的には分からないのです。つまり、「社会契約に基づき権力の負うべき責務とは、人々の幸福追求の実現なのである」と設定するための偽作(建前)であるため、それを是とするためには、「それは正しいのだ」と常に思い続け、それに向かう労を惜しまない姿勢が必要になります。
 即ち、以上から統治者の資質として「個人の自由と幸福追求を掛け替えのない価値として認識することができ、その実現の為に不断の努力ができる者」という性質を導出できます。

 4 平和主義
 最後は平和主義です。戦後連合国を中核に据えて再結成された国際社会は当初真剣に武力に拠らない国際平和の実現を目指しており、その為の国際機関として国際連合を設えました。ところが、国際統治と利権確保を巡る大国の思惑は各地の小国の運命を翻弄して地域紛争の火種をまき散らし続け、結局にして核の殲滅性を究極的な担保とする相互確証破壊に基づく勢力均衡の発想に回帰して核戦力の釣り合いばかりをひたすらに追い求める有様へと転落してしまいました。しかしながら、戦後当初に企図された武力に拠らない平和の実現は、殲滅的な核・化学兵器が実在する今、人類の存続と種の保存の為に残された不可避かつ唯一の途なのです。日本は当にその為のテストケースでした。
 従って、日本の統治者は「日本は国際平和実現の為に、国際社会において特別な意味と役割を負っている国家であり、日本の再軍備化は戦後の国際的安全保障の理念の失敗を意味する」という理解がある者でなければならないということになります。

 5 結語
 従いまして、結論として現代日本の統治者は、「政治・行政の目的は主権者たる国民の福利の増進に全てが集約されるのであり、個人の人権は最大限の尊重を要するものであって、個人間の人権の利害調整を通して社会的安定を実現するこそが権力の責務であり、それは日本国内にとどまらず、全世界的規模で人々の間に生ずる種々関係を平和的に調整均衡して、武力に拠らない世界平和を実現すべき特別の国際的責務を日本は追っているのだという事を正しく理解している者」であると結論することができるでしょう。以上。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。