改憲議論5 他国は改憲を重ねている説

憲法概論
03 /17 2020
 日本国憲法は制憲後70年以上、約3/4世紀にわたって一度も改憲を経験していない。その間に、世界は朝鮮戦争から冷戦を経て、テロとの戦い、そしてロシア・中国の台頭へと遷移し、その様相は一変した。にもかかわらず、その間も日本国憲法はその在り方を微塵も変えぬままに現在に至っている。こうした時の経過を経て、日本国憲法が実現すべきと要請する人間の普遍的価値もまた新しい段階へと進み改憲の機は熟したのであろうか、また、この間にも多くの国で憲法が改正されていることをどのように評価すべきか、イギリス憲法、アメリカ憲法、フランス憲法、ドイツ憲法との比較を中心に論を進める。
 わが日本国憲法が制憲後70年以上一度も改憲を経験したことがないのと対照的に、先進各国は、頻繁にとは言わないまでも数度にわたり、改憲を重ねているが、それは各国の憲法が成立した時代背景に由来するところが大きい。わが国は第二次世界大戦の敗戦によって大日本帝国憲法下で展開されてきた近代国家としての歩みを終え、現代国家へと進展したが、諸外国は未だ近代から現代へ至る過程にあると言ってよい。

 そもそも、近代的立憲主義(狭義の立憲主義)に基づく憲法観が確立したのは、中世の絶対王政期を脱して近代へと至る趨勢においてであった。そのため、欧米の先進諸国の憲法は基本的に「近代憲法」として憲政史の歩みを始めたのである。そうした都合上、欧米先進諸国は、初めに打ち立てられた近代憲法を現代憲法へと昇華させる必要を内包している。故に、彼らはまさに現代という時代に適合させるために自国の憲法を改正せねばならないのである。

 他方、わが国は、大日本帝国憲法における天皇への権力一極集中が筆舌に尽くしがたい惨劇を国内外に齎したことの真摯な反省から、修正ワイマール憲法とでもいうべき憲法価値を受け容れ、現代憲法として日本国憲法を備える現代国家として、一足飛びに新しい歩みを始めたのであった。即ち、わが国は、新しい現代憲法と共に、現代という新しい時代への船出を開始したのであるから、現代的価値のその先が見通される時がくるまで、本質的に改憲の必要がないのである。これが、先進諸国の憲法とわが日本国憲法との決定的な違いである。

 もっとも、いまなお、世界で最も先進的であるわが日本国憲法も、完全な現代憲法という訳ではない。社会権規定を含む権利章典を備えていることから、現代憲法の体裁を保ってはいるが、いわゆる「プログラム規定説」によって、個々の国民が憲法の人権規定を根拠として、国家権力に対し個別具体的な請求を為す権利までが認められたものではないとされていることから、現代憲法性は僅かに後退させられており、完全な現代憲法と呼ぶには些か躊躇われる部分があるのは否めないところではある。しかし、この点については、最高裁がそのように解釈しているというだけであって、日本国憲法;の文言として首肯されているわけではなく、今後司法権の解釈変更によって具備され得る可能性が残されていることから、やはり包括的に評価するならば、わが日本国憲法は、世界に冠たる最新現代憲法;のひとつという事ができるであろう。

 さて、事程左様に、日本が現代憲法と共に新しい時代を刻み始めた一方で、先進諸外国は近代から出発しており、彼らは憲法においてその間隙を補充することを要請されている。これまさに、近代から現代へという時代の変化に応じた憲法的価値の変遷に適合させるための改憲の必要性である。

 では、先進諸外国の出発点がどこにあり、どのようにして現代的価値を実現すべく各国憲法を修正しようとしているのか、英国、米国、仏国、独国の憲法・基本法を例に俯瞰してみたく思う。

1 英国憲法

 まずは立憲主義誕生の地であり、世界で初めて権利章典を導入した英国である。周知の通り、英国には成文憲法はなく、マグナカルタ以降連綿と蓄積されてきた膨大な判例法から析出される普遍的価値が、英国人として在るべき当為を示す憲法の役割を担っている英国の方がコモンローと呼ばれる所以である。なお、時として、成文憲法を持たないことから、「英国には憲法がない」という言説を目にすることがあるが、それは端的に誤りである。彼らは蓄積された判例法の中から、あらゆる時・場所・個人に通底して適用することのできる価値を発見してそれを英国にとっての当為に位置付けており、それが彼らの憲法なのである。

 この英国の憲法の仕組みは大変良くできており、先例拘束性の側面から滅多やたらな憲法的価値の動揺を防ぐとともに、時代の世相を反映した個別具体的な訴訟事件に対する判例を通して、絶えず変容を続ける実現すべき価値の在り方を時宜に適う形で捉え、それを議会制定法が服すべき高次の価値として絶えず提示し続けることができるのである。裁判において受容された新しい人権は、即座に新しい人権として権利章典に継ぎ目なく追加されるし、権力構造在り方さえ柔軟に変じることができる。

 ただ、問題を上げるとすれば、成文がないために「何が憲法的当為か」が誰の目にも明らかとは必ずしも言えない事、国民との社会契約たる憲法の創造・改廃の主な担い手が主権者たる国民ではなく裁判所であることがあげられよう。特に、後者については司法国家現象を促進する消極的側面もあり、万能というわけではない。しかしながら、時々刻々と変化する個人の需要と国家の需要をいついかなるときでも私法作用を介して柔軟に架橋できるという点において英国の憲法の仕組みは卓越していると評して差し支えないであろう。法の支配(Rule of Law)を採る代表的国家の英国であるが、「国家権力が服すべき高次法とはいかなるものか」という法意識が確立しているが上になし得る妙技であるともいえる。さすがは、世界で最初に法の下に権力を包摂することで人権保障を確実にしようとした国家である。

2 米国憲法

 米国は英国とは異なり、アメリカ合衆国憲法と題する成文憲法を持つ。わが国においては、改憲を精力的に重ねている国家のひとつとして例に挙げられることの多い米国であるが、米国建国の歴史を知っていれば、現代に臨んで彼らが急ぎ改憲を重ねる理由は自ずから明らかとなる。

 憲法の新旧をはかる指標である憲法の発達段階を顧みると、国家権力の構造が記される段階(実質的意味の憲法)、権利章典を有する段階(立憲的意味・近代的意味の憲法)、社会権規定を有する段階(現代的意味の憲法)に分類された。では、制憲当初の米国はどの段階にあったのか。

 驚くべきことに、アメリカ合衆国誕生時、アメリカ合衆国憲法には、前文にこそ自由、平等といった近代的価値を尊ぶ姿勢が記されていたものの、その主たる内容は、「今後アメリカ合衆国は、連邦制を採る」ことに集約されており、その実権利章典さえ付属していなかったのである。その格調高い前文から、かろうじて近代憲法に分類し得る潜在性は有していたものの、制憲当時の米国憲法は客観的にいえば実質的意味の憲法ではあったが、近代的意味の憲法と言えたかどうかは見方次第という様相であった。

 いうまでもなく、米国建国時、既に時代は近代へと至っていたのであるから、米国が近代国家としての地位を不動のものとするためにはその憲法を名実ともに近代憲法へと昇華させる必要があった。それ故に、彼らはこれまで数度にわたって大規模な改憲を行い、近代憲法の体を設えてきたのである。初めは、制憲当時欠如していた権利章典を備えるところから始まり、次いで、時代が近代から現代へと漸次的に遷移していくに従い、State ActionやAffirmative Action条項の追加によって少しずつ現代憲法へと近づいてきつつあるのである。

 しかしながら、今なお、米国憲法には明示的な社会権規定はまだなく、客観的に評すならば、それは近代憲法から現代憲法へと移り行く途中の段階にあるということができる。今後もより優れた現代憲法としての完成度を高めるために、米国では改憲が積み重ねられていくであろう。そして、それが完成したとしても、漸く日本国憲法に追いついたということに過ぎないのである。

 米国における人権意識、権利義務に対する法意識の高さはわが国の比ではない程に高く洗練されているが、彼らでさえ、いまだ日本国憲法と同水準の憲法を持つには至らず、それを手にしようと試行錯誤を続けているのである。われら日本人は、日本国憲法の先進性をもっと誇ってもよい。

 なお、改憲に臨み、米国は制憲時の文言を変更削除することなく、新しい条文を修正条項として追加する方法を採っている。これは、憲法に記載すべき事柄は人類普遍の共通事項であって、譬え時代が遷移しようとも本質的な内容が変わるものではないから、変更削除の必要はないという米国人の法意識の表れであるということもできよう。

 憲法は確かにその国の在り方を規定する根本法規ではあるが、さりとてその国固有の歴史であるとか文化的特性、道徳的価値観を記述する場所ではないということを米国憲法は教えてくれる。世界の憲政史に連なる憲法は、人類としてこの世に生を受けた個別具体的な個人と、その個人が綾なして形作る社会を維持存続させるために必要な基準となるべき普遍的価値を記述する文書であって、その流れを離れてその国家の志向を記述するべきものではない。

 今わが国で展開される改憲議論の中には、日本の固有の歴史や道徳観を改正憲法に盛り込もうとする動きが随所に見られるが、端的に言ってそれは憲法についての無知であると評さざるを得ない。苟も現代国家たるわが国が、今後もなお世界に先駆ける先進国たらんと欲するのであれば、憲法とは何か、各種法令の基準となる高次法とは如何なるものかということに常に敏感でいる必要がある。これを見失うことは現代国家からの凋落を意味すると知らねばならないであろう。

3 仏国憲法

 今のフランスは、苛烈な暴力革命の後、さらなる紆余曲折を経て誕生した共和国である。フランス革命は、天賦人権論の礎とも言うべきフランス人権宣言を革命の旗頭にして為された近代化への衝動であったが、ブルボン王朝打倒直後は革命指導者による独裁を招き、それを打破するために今度は皇帝を戴くという事態を経験し、フランス市民の為の真の国家が誕生するにはなお長い時間を要した国家でもある。

 しかし、その間のフランスにおいても、人権意識は翳ることなく、むしろ洗練練磨され、現在に至る道程を築いた。自由・平等・博愛の精神に基礎づけられた簡明で格調高い1958年憲法の前文は、人類は苦悩と試行錯誤の最中にあってもなお、その瞳が実現すべき確かな当為を見失うことのない限り、必ずやその当為としての憲法価値は結実するという事をひとつの史実として我々に教えてくれる。

 フランス憲法は、1991年以降、脈々と試行錯誤と成長を繰り返してきた世界最古の立憲的成文憲法のひとつであり、その精神は今なお燦然と輝いている。こうした特性に鑑み、フランス憲法は「憲法の実験室」とも呼ばれる。

 改憲が比較的頻繁な国家の例としてフランスの名があがることは多いが、それは歴史的な経緯の所以であって、フランス憲法が軟性憲法であることを意味しない。フランス人権宣言を核心的に包摂して結実した1891年憲法の制憲当時は、西欧において中世以前の王権神授説(宗教権力と世俗権力の一体性と二重の権威による支配)に基づく価値観とは真逆の「自由・平等」という全く新しい価値観がその萌芽を現したまさに人権の黎明期であった。そのため、理念・理論としての人権の本質的重要性は了知されていたし、またそれらが市民革命に理論的正当性を与えたことは間違いないが、しかし、教会権力からも世俗権力からも離れて、人民だけの力で本当に社会契約に基づく国家を運営することが可能なのか、その実証は隣国の英国における100年程度の間の例のほかはどこにもない、全く新しい世界への船出であった。その英国もまた、英国内においてこそ主権者たる国民の自由・平等は実現されていたが、啓蒙思想の恵沢を未開地の人々にも伝承するという大義名分の下、英国議会が濫発する法律に基づいて世界中に点在する植民地を虐げ、そこから暴利を貪っていたことは歴史が証明するところである。即ち、英国議会もまた、国内外において人権保障の在り方を変える二重の基準を採用していたのであり、これが米国の独立を惹起することになるのは周知の通りである。

 このように、フランス憲法はその成り立ちの経緯からして、出発は近代憲法だったのであり、故に、以降200年にわたる歴史の変遷の中でその在り方を変えていく要請があったのはある意味で当然であった。加えて、フランスは帝政と共和制を行き来するという特異な歴史的歩みを経験したことから、その時々の権力の構造によって憲法が書き換わることは避けられない事柄でもあったのである。

 帝政が終わりを告げ、共和制が定着した後も、いわゆる資本主義の修正への対応は避けられなかった。近代的な思想が芽生え始めた当初、名だたる社会思想家たちは、人類は個別具体的な特殊性を捨象し、そこから万人に通底する普遍的価値を析出することに拠って、より合理的で客観的な自律的存在に昇華することができると確信していた。しかし、その理論的当否は格別、われわれ人類が近代以降の歴史の実践において学んだことは、個人の特殊性を捨象して抽象的人を基準に自由と平等を把捉する時、とりわけ平等においては、むしろ不合理な不平等が齎されるということであった。いわゆる近代の失敗である。

 われわれはひとりひとり異なる出自と特性をもち、選好や志向は千差万別である。こうした人々を、その各々に付着する特殊性を捨象して一律に機会の平等を与えても、完全な競争は実現しない。また、人は常に個人的感情や特性を離れて客観的合理的に振舞うとは限らず、往々にして不合理で不可解な選択を為す。こうしたことが経験則として明らかになるにつれ、われわれがその発見をコペルニクス的転回であると当初看做した近代的価値もまた必ずしも万能で瑕疵のないものではないことを知り、次第に、国家権力による人権保障の充実と市場の適切な制御という概念が意識されるようになってきた。修正資本主義の誕生であり、形式的平等から実質的平等の志向へと至る平等観念の転換である。

 近代と現代の境界を難しく感じることが多々ある。実際、中高の教室で展開される歴史の授業では、近代と現代を分ける明確な基準を知ることは容易ではない。せいぜい、わが国においては、明治以降第二次世界大戦までの間が近代、それ以降が現代と説明されるのが関の山である。しかし、憲政史に照らして言えば、一般的普遍的価値の発見とその形式的平等な実現及び市場経済への国家権力の介入を可能な限り抑制することを志向した時代が近代であり、個人の特殊性に着目してその多様性を相互承認するとともに健全で実質的平等な市場実現の為の国家権力の積極介入を要請する時代が現代(修正近代)であるということになる。

 個人は、各々方向性も程度も異なる性向を帯びているため、本性的に、一般的普遍的に取り扱い得る対象ではない。人が人権の享有主体として尊重されるためには、抽象的人としてではなく、個別具体的な個人として尊重される必要がある。つまり、近代から現代へと至る段階において、人権の概念に決定的な違いが生じたのであるから、フランス共和国憲法が、その変遷に適合するために改憲という手段を用いて現代に最も適合的な人権保障の在り方を発見するために数次にわたり試行錯誤を行ってきたというのは当然の成り行きであり、彼らは、人権保障上の必要があるから改憲を重ねたのであって、改憲したいから改憲を続けているのではないのである。

 さらに言えば、フランスが直面した「改憲の必要性」というのは、単純な言い方をすれば「時代の移り変わりに対応するため」であるが、ここでいう「時代の移り変わり」とは第二次世界大戦後の70余年に見出されるような技術革新や生活様式の変化を指しているのではないことに大いに留意せねばならない。確かに、科学技術分野においてここ数十年で世界の在り方は大きく変容したが、それは外形的な、或いは実際上の「方法・手段」の変革であって、「人間存在の在り方それ自体」に関する新しい発見ではない。言葉とは便利なもので、「時代の移り変わり」といえば、ここ数十年の科学技術の急速な進展も時代の移り変わりの範疇に捉えられているように錯覚するが、それは文字通り錯覚である。近代以降の憲法は、人類の人類史的発達の段階を記録するものであって、ある段階における単なる方法・手段の変化への対応策を記述するものではない。最近の化学変化の劇的な進歩も、その究極の目的は人類に幸福を齎し、生存をより確かにすることに収斂されている。即ち、いまなお、自由・平等・公正を実質的平等に実現すべきという現代的価値以上のものは何ら発見されていないのである。そうである以上、いまなお現代憲法の水準に及ばない国家は、改憲を積み重ねることでまず現代に適合的に憲法を設えることを必要とするが、既に現代憲法を手にしている国家にとっては、まだ改憲のときではないのである。

 フランス憲法が「憲法の実験室」と呼ばれ、改憲による試行錯誤を繰り返すのは、ひとえに現代的価値を実現するに足る水準にまで、かつての近代憲法の水準を引き上げる必要があるからであり、外形的な要因・事由によって右往左往しているわけではないということを知っておくことは有意義である。もしかすると、その試行錯誤が功を奏し、現代を超克する真新しい価値観がフランスにおいて発見されるかもしれない。他方、国家の礎である憲法に手を加えるということは、国家の在り方が変わるということをも同時に意味するのであるから、藪をつついて蛇を出すようなことにだけはならないで欲しいと、現代憲法を持つ国の国民としては切に願ってやまないところである。

4 独国基本法

 ドイツには憲法をめぐる痛烈な経験がある。ワイマールの愚である。第二次世界大戦前、先の第一次世界大戦からの復活を象徴たらしめるワイマール憲法は、20世紀初頭においてすでに相当洗練された社会権規定を持つ画期的な憲法であった。しかし、人類の歴史とはなんと皮肉に満ちたものであろうか、そのワイマール憲法は「緊急事態条項」という蟻の一穴を巧みに利用され、その気高い理念と民主性の懐においてかの残虐非道なナチス・ドイツを育んだのである。ナチスの総統アドルフ・ヒトラーは、ワイマール憲法に組み込まれた緊急事態条項につけこんで、国営軍需産業を勃興し、自国を含む一部ヨーロッパ地域の経済的苦境は金融をつかさどるユダヤ人にあるとして国内の不満を外部にそらして危機感を煽り、ついにはかの凶行に及んだのである。

 世界で最も民主的かつ最新鋭の憲法によって数多の人々の人権が蹂躙され、冷酷無比にその生命を奪われたことは、地球上にする住むすべての人類が未来永劫決して忘れてはならない血の戒めである。どれほど優れた道具であったとしても、それを操る者次第で容易に凶器に堕すということを、ワイマール憲法は今なおわれわれに教えてくれているのである。

 この痛恨の経験から、戦後のドイツは戦う民主主義を容れ、「ドイツ連邦共和国が尊ぶ憲法秩序および共和国それ自体の転覆を企図する団体はその結成すら許さない」としている。これは、ワイマールの愚を二度とは決して繰り返すまいとする彼らの鉄の決意の表れである。

 また、戦後処理の一環として東西に分裂させられたドイツは、旧西ドイツで復興がおよそ順調に進展する中でも、旧東ドイツと統一が実現し、新しいドイツ連邦共和国として再編成され、かつ統一の共和国としての憲法を持つに相応しいと思料されるその時まで憲法を持たないことを決めたのである。ここからも、ドイツが軽々に憲法を云々することに極めて慎重な姿勢をとっていることが見て取れる。

 ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツの統一は成ったが、その後も彼らはドイツ連邦共和国憲法を制定するのに相応しい時期をなお模索し続けており、慎重な姿勢を全く崩していない。現代という時代もまた、近代が近代の失敗に陥ったのと同じように、個人の特殊性を尊重しすぎるあまり、社会全体としての善悪観の一切が相対化してしまう、いわゆる価値相対主義という病理に深く蝕まれている。個人の自由はより善く観念されるようになったが、関心の多くが自己の内面と自己実現に向けられ、他社や社会との紐帯を疎かにする風潮が見られるようになって久しい。これはあくまでも私見だが、ドイツは価値相対主義を克服して現代の次の段階へと進むため求められる新しい価値が発見されたときに、新憲法を制定しようと目論んでいるのかとも思えるが、これはドイツ国民の意思によるところである。

 いずれにせよ、ドイツはいずれ設えるべきドイツ連邦共和国憲法をより善いものとするために、暫定的にボン基本法を置いてそれを憲法に代用している。基本法という名からわかる通り、他の議会制定法(法律)とは画然と異なる地位におかれてはいるが、あくまでも高次法の位置づけではなく特殊な法律である。従って、「ドイツも戦後憲法に手を加えている」という言説は、正鵠を射たものではない。彼らは、ボン基本法を試金石として、彼らにより相応しい憲法の在り方を模索している最中なのであるから、そこで試行錯誤がされるのは当然の成り行きである。試行錯誤なくして一足飛びに理想的な憲法、ましてワイマールの愚を二度とは繰り返さないという歴史的使命を全うすることを可能とするそれを生み出すことは困難を極めると言ってよかろう。

 ドイツには、憲法の代理の役割を果たすボン基本法はあるが、ドイツ共和国憲法はいまだ彼らの手にはない。従って、彼らが戦後手を加えているのは、あくまでもその基本法(法律)であって、憲法ではないのである。この点を看過して、「日本と同じく旧敵国であった(しかもヨーロッパにおいては日本よりもすこぶる評判の悪かった)ドイツでさえ、数次の改憲に及んでいるのに、わが国の憲法が手付かずなのはおかしい」という論調は当て嵌まらないのである。

 ところで、仏国憲法と独国基本法の項目で、より善い憲法を設える為に彼らは改憲(ドイツの場合は法律改正)という方法を用いて試行錯誤を繰り返していると述べた。しかし、それが妥当なのだとすれば、「日本においても憲法をより善いものとするために試行錯誤を行うことは有意義なのではないか」という疑問が当然惹起されるのは無理からぬところである。果たして、日本国憲法もまた、他国の憲法・基本法と同様に、より優れた憲法価値を発見するために試行錯誤を行うべきなのであろうか、最後にその点を検討したい。

 とはいえ、この問題に答えることはそれ程難しいことではない。先にも述べたが、憲法は確かにその国の在り方の根本を規定するものではあるけれども、本質的には全人類史的な観点から発見された普遍的価値を実現し得る国家を形成するための社会契約であって、その制定・改廃の要請は、各国民国家における個別具体的な事情によるものではなく、憲法史の進展段階によってなされるものである。

 先史(原始)、古代、中世、前近代、近代、現代という世界史的変遷の中で、中世から前近代を経て近代にいたる過程において立憲的意味の憲法の概念が誕生し、天賦人権論に基づく人の自由と平等を実現するために主権者たる国民とその端為ためたる国家権力との間に交わされる社会契約として憲法が認知されるようになって現代に至る。即ち、立憲的意味の憲法の始まりは近代憲法であった。その後の大きな歴史的転換点としては、近代の失敗の代償として繰り広げられた二度の世界大戦が認められるわけであるが、それはまさに中世(前近代を含む)から近代へと至った時と同じような価値観の遷移を生じた。具体的には、市場を統御する役割を国家に担わせ必要に応じて国家の市場介入を容認するという資本主義の修正、いまひとつは、一般的抽象的な人に普遍的に通底する価値を形式的平等に実現するのではなく、個別具体的な事情を具備する個人について、個人間の実際上の差異を加味した上で実質的平等を実現しようとする平等観念の転換である。

 近代憲法から出発した欧米の先進各国は、この世界史的価値観の変容に適応するために、自国の近代憲法を現代憲法化する必要に迫られたのであり、故に彼らは戦後から現在に至るまで、時には試行錯誤語を繰り返しながら、改憲によって自国憲法を洗練昇華させてきた。

 他方、わが国のかつての憲法である大日本帝国憲法は、権利章典に法律の留保が付されており、権力集中が是認されていたなど、幾つかの課題を抱えていたとはいえ、その体裁はまごうことなき近代憲法であった。本来であれば、わが国独自の方法と価値観に基づいて大日本帝国憲法の現代憲法化を為すべきであったが、第二次世界大戦で敗戦を喫したわが国は、戦勝国である連合国の主導の下で大日本帝国憲法の現代憲法化を進めるよりなかった。これは歴史的成り行きの所以である。

 しかし、占領下という特殊な状況においても、当時の日本の首脳陣はGHQに対し、9条を提案することと引き換えに1条を死守するなど、日本人と日本国の在り方を護るために最大限智慧の限りを尽くしたことを決して忘れるべきではない。事程左様にして、わが国は、連合国の主導の下であったとはいえ、近代憲法を現代憲法へと昇華させることに成功したのである。そして、そこで誕生した日本国憲法の精神は多くの日本人のもとに根付き、戦後一度も日本人を再び戦争の惨禍に引き込むことをしなかったのである。

 考えてみれば、近代以降、わが国は明治、大正、昭和、平成、そして令和へとその歩みを進めているわけであるが、忌まわしい戦争の時代であった昭和の次の時代であった平成は、(少なくとも武力行使と一体化する形では)一度も国家間戦争にわが国が関与することのなかった稀有な時代であり、日本国憲法の精神が燦然と輝いた時であったということができるであろう。近代の幕開け以降初めて実現した戦争無き平成という時代を承継することが、われ等日本国民の歴史的使命であると認識するのに何を躊躇うのか。

 いずれにせよ、その誕生の経緯は格別、日本国憲法は世界に冠たる現代憲法であり、欧米先進諸国が手に入れたいとして奮闘する現代憲法が既にわれ等の手にはあるのである。憲法の新旧を測る尺度は制憲・改憲からの経過時間の長短ではなく、憲政史上の憲法の発達段階に鑑みて、どの水準にまで到達しているかで測られるものである。欧米先進諸国の憲法は、その始まりが近代憲法であったがゆえに近代の残滓によって現代憲法;の獲得に時間を要しているが、敗戦後の焼け野原に真新しい現代憲法を打ち立てた日本においては、近代の幻影に惑わされることなく新しい時代、新しい価値観に向かって雄々しく帆をあげて前進することができているのである。

 現代という時代がまた、価値相対主義という深刻な病巣を内包する不完全な時代であるのと同様、日本国憲法もまた、この瞬間において最新であるとはいえ、いつか全く新しい価値観が発見されたときには、その価値を実現すべき当為とならねばならない。しかし、現代的価値を超克する新しい価値は、未だ発見には至っていない。従って、超現代的価値が見出されるまでの間は、日本国憲法;の要請する諸価値が日本において、また世界においてより善く実現するように努めることが、主権者にとっても国家権力にとっても最優先の責務ということになろう。

 繰り返しになるが、国家の礎たる憲法は、その国に固有の事情によって変更されるべき性質のものではなく、憲政史的ないし世界史的観点から新たな当為となるべき価値が発見されるとき変更が要請されるものなのである。このことは、日本国憲法がその前文において「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであ」るとしていることからも明らかである。近現代的憲法とは、極めて端的に言えば、それは人類普遍の価値観を前にして各々の国家がその実現のために描く絵図なのであって、人類史を無視して固有の在り方を主張するためのものではないのである。以上。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。