改憲議論3 緊急事態条項加憲説

憲法概論
10 /01 2019
 数ある改憲議論の中で、一見最も説得力があるように見えるのが、この緊急事態条項加憲説である。緊急事態においては国家により大きな権限を付与し、公益を私益に優先して早急な復旧復興を図るという発想は、古来より社会集団における協調性と協働に価値を見いだす傾向性のある我等日本民族にとっては、説得的に感じられる。

 しかし、緊急事態条項加憲説は、人権保障という観点からは極めて高度な危険性を孕む主張であり、その条項を憲法に導入するには最大限の慎重さと注意を要するというべきである。しかしそれを考えるには、まず憲法の社会契約的性質について理解しなければならない。
 狭義の立憲的意味の憲法、即ち憲法によって国家権力は制約されるとする近現代的意味の憲法は社会契約的性質を有している。すなわち、近現代意味の憲法の下では、主権者たる国民は、本来自己に属している国家の行く末に関する決定権たる主権を選挙という民主的な意思決定過程を経てしかるべき代表に委譲し、主権の委譲を受けて選出された代表は、文字通り国民の利益を代表して議会において国家の意思を形成し、政府がそれを実施するという構造をとる。国民は、自らの意思で主権を委譲し選出した代表の決定であるが故に、その代表、つまり議会の制定した法に従い、また議会はその存在に正統性を賦与した国民の利益を反映する法を制定する義務を負い、政府は国民の利益を実現するために法を実行する責務を負う。

 このように、近現代的意味の憲法(狭義の立憲主義)の下では、主権者と権力の間には、主権者は権力に主権を委譲して正統性を与え、権力はその負託に応えるように法を制定し実行する責務を負い、主権者は自らの意思で選出した代表の決定であるが故に法に服することを約すという、一種の契約関係が成立している。これがいわゆる社会契約である。すなわち、近現代的意味の憲法には「社会契約」としての側面があるのである。

 そして近現代的意味の憲法に基づく社会契約における主従関係は、本来の主権者たる国民が主であり、その負託に応えるべき責務を負う権力側が従の立場にある。端的に言えば、狭義の立憲主義のもとでは、主は主権者たる国民であり、権力はその忠実なる奉仕者(執事)なのである。

 さらに、近現代的意味の憲法は、この社会契約性に加えて、権利章典の性質を有する。権利章典であるということは、憲法に記載されるべき内容とは、主たる国民の権利であり、「国民の出来ること」と「それを保障するために国家が負うべき責務」が記載されるべきことを意味している。

 では、こうした近現代的意味の憲法の社会契約的性質と権利章典的性質に鑑みた場合、緊急事態条項の加権はどのような意味を持つことになるのか?

 緊急事態条項とは、国家が緊急事態と認めた場合には、国家権力の出来ることの範囲を拡張拡大して、国民の権利を一時的に制限することを許容することを内容とする条項である。すなわち、「緊急事態」において、近現代的意味の憲法における主従関係について、国民の利益の為に国家は福利を提供する義務を負うという構造を、国家の利益の為にて国民の権利を制限し義務を課すという構造に逆転させることを意味するものである。これは、近現代的意味の憲法における社会契約の内容を根底から覆滅するものであり、人権保障の観点においては、非常に大きな危険を孕むものであると指摘しなければならない。

 いかなる場合であれ、近現代的意味の憲法においては、主が主権者たる国民であり、従が国家権力であるという関係を逆転させてはならない。それをひとたび許せば、狭義の立憲主義はその意義を失い、権力の暴走と権力による人権の蹂躙を容易に許してしまうことになる。故に、近現代的意味の憲法における主従関係は、絶対に維持されるべき契約関係なのである。

 次に、前述の通り、近現代的意味の憲法は権利章典の性質を有する。というよりむしろ権利章典そのものである。すなわち、近現代的意味の憲法に記述すべきは「国民の権利、国民のできること」であって「国民にできないこと」ではない。「できることをなんでも自由に書きなさい」と言われて「できないことをそこに書く」のは明らかな誤謬である。繰り返しになるが、近現代的意味の憲法は権利章典であり、故に、そこに記載すべきは国民の権利であって国民の義務ではない。憲法に記述すべき条項について議論する際には、そのことを決して失念してはならないのである。

 さて、これまでの考察において、憲法は国民を主とし、権力を従とする社会契約的性質を有すること、及び、権利章典であって、国民の義務ではなく権利を記述すべきものであることが明らかとなった。

 しかしながら他方で、戦争や争乱、大規模災害などにおいて国家が果たす役割が大きいことも事実であり、また国家には一個人には到底不可能なことを実行できる組織力を有していることもまた事実である。その事実に鑑みれば、緊急事態において国家権力に一層大きな権限を付与し、公共の福祉を私的な利益に優先して早期普及復興を実現すべきとする主張は理解できないわけではない。しかし、そうであるが故に、社会契約の内容を逆転させ、権利章典に義務を記載してよいということにはならない。憲法は国家の根本法規であり、その基幹的内容の変更は、国民と国家の関係、国民の権利と義務の関係を変更することを意味するからである。

 従って、緊急事態条項の加憲を論ずる者の主張に耳を傾ける際には、その本当の狙いがどこにあるのかを注意深く観察し見抜く必要がある。多くの場合、緊急事態条項の加憲を主張する者は、緊急事態という危機を脱し復旧復興するという否定しがたい必要性に仮託して、暗黙の裡に権力を増大し、国民の権利を委縮させる契機を得ようとする邪な野心がある。それを看破することなく、言われるがままに権利章典に国民の義務を記述し、主従関係をいたずらに逆転させることは国民の権利保障を深刻に脅かす脅威となろう。

 もし、真に国民の権利保障の為に、憲法に緊急事態条項を加えようというのであれば、「戦争、争乱、大規模災害その他国民生活に重大な影響を及ぼす緊急事態が生じたときは、国家、各行政機関並びに全公務員は、国民の生命、身体、自由、財産を保護するために、法令に基づき、最大限の配慮を為し適切な措置を迅速講じる義務を負う」と書けば足りる。

 これ以上に、殊更に国民の義務を制限すべきことを強く主張する者は、緊急事態を契機として権力の拡大と強化を企図し、国民の権利を縮小して、国民と国家の主従関係の逆転を狙う邪な意図を内に秘めていると断じて大過なかろう。

 憲法は、国民と国家の主従関係を規定し、国民の権利と国家の義務を記述する文書であるということを、多くの人々が改めて認知してくれることを願う。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。