改憲議論1 日本国憲法時代遅れ説、または新時代適応憲法制定説に関する考察

憲法概論
08 /28 2019
 憲法改正議論ということになると真っ先に主張されるのが、「制憲後70余年を経た日本国憲法はその後の時代の変化に対して必ずしも適合しなくなってきたから改憲をすべきだ」とか、「令和という新時代を迎え、新時代にふさわしい新憲法を日本人自身の手によって制定すべきだ」という主張である。

 なるほど、確かに一般的には説得の力のある主張に一見思える。70余年という時間経過は実に3/4世紀に及ぶ期間であるし、特に最近20年は情報技術と交通手段の分野における劇的な技術革新によって、時空の長短・遠近という要素に人・物・金の移動の制限は大きく低下し、日本国憲法制定時とは国際社会を含めた周辺環境全体が大きな変化を生じたことは間違いない。また、世界中を席巻したグローバリズムの趨勢によって、その傾向は一層加速していった。そのような状況において、70余年前に制定された憲法が次代の変化に対応しきれていないと素朴に直観することは無理からぬところである。

 しかし、こうした時代の変化の中で、日本国憲法は本当に経年劣化を生じたのであろうか?また、昭和、平成を経て令和という新しい時代に我が国が歩みを進めたという事実は、改憲を後押しする原動力たり得るのか?これらについて考察を試みたく思うが、これを為すのは容易ではない。というのも、当該課題を検討するには、憲法史を含む憲法学の観点から憲法を眺める必要があり、更には、立憲主義が何たるかを知る必要があるからである。

 さて、「憲法とは何か?」或いは「立憲主義とは何か?」と問われた時、その問いに答えることはできるであろうか?
 私はこの問いを、「こうしたことに答えられないのは無学であって、およそ憲法を論じる資格を欠く」などという矮小なことを指摘するために発したのではない。というのも、国民が常に憲法の是非について考えていなければならない社会というのは長谷部恭男先生が指摘される通り不幸な社会であるからだ。蓋し、多くの国民が憲法に大きな関心を払っていた時期というのは、歴史を顧みるに、フランス革命期、独立戦争期のアメリカ、そして第二次大戦後の日本がその好例であり、個人の幸福追求など到底考えている余裕はないほどの苛烈な時代の激変期であった。こうした時期が、個々人が自由に自己実現を果たし得る環境でなかったことは想像に難くない。むしろ自由・平等を獲得し、幸福を追求するために憲法の内容とその是非に大いに関心を払わねばならなかった。つまり、多くの国民が憲法について考えていなければならない社会というのは、どちらかといえば不幸な社会という事になる。

 さて、話題を元に戻そう。これから述べることは、大学法学部で憲法を憲法学として学んだ者や、良識的な公務員にとってはよく知られたことであるが、そうでない者にはあまり知られていない事である。しかしそれは悪いことではない。多くの国民が、憲法の是非等といったことに煩わされることなく自由に自己の幸福追求だけを考えていればよい社会こそ幸福な社会であることは先に述べた通りである。

 憲法の新旧を測る基準としては、物理的な時間・経年とは異なる専用の尺度があるがこれを知るためには、まず立憲主義について知ることが必要となる。

 立憲主義と言えば、現代においては専ら「憲法によって権力を制限・統御する仕組み」という理解が一般化しているが、これは近現代においては真であるが、立憲主義の全てではない。立憲主義とはそもそも「国家の運営に際し、憲法を立ててそれを為す」という意味の語である。つまり、「立憲的国家である」と言われるためには、国家の枠組みと構造について憲法にそれが記されていれば足りるのである。従って、意外に思われるかもしれないが、「立憲的国粋主義国家」や「立憲的独裁国家」というものもあり得えてしかるべきなのである。なぜならば、「立憲的」と言われるためには、国家の基本構造が憲法によって規定さえされていればよいからである。改憲に積極的な勢力が、否定的な勢力から「立憲主義は憲法によって権力を縛るものだ」と指摘する時、「立憲主義の意味がそれだけに限られるわけではない」と返すことがあるのはそのためである。

 では、立憲主義の前提である「憲法:Constitution」とは果たしてどのような存在なのであろうか?また、なぜ、立憲主義は、近現代においては、「憲法によって権力を縛る」概念として定着したのであろうか?これを知るには憲法史を紐解く必要がある。

1 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法

 まず、憲法には「形式的意味の憲法」と「実質的意味の憲法」という分類がある。形式的意味の憲法とは、その内容に関わらずその文書なり不文の規範に対して「形式的に」憲法の名が与えられているものをいう。これに対し、国家の基本構造、すなわち権力の有様や構成の仕方が記されている文書ないしは不文の規範を「実質的」意味の憲法と呼ぶ。すなわち、「実質的に」憲法であるためには、そこに国家及び権力の基本構造が記された、いわば国家の設計図の性質を有していなければならないのである。例えば、役人の心得を示してはいるものの国家の基本構造を規定するものではないままに憲法の名が与えられている、聖徳太子の手による「十七条憲法」は、形式的意味の憲法ではあるが、実質的意味の憲法ではないのである。繰り返しになるが、憲法とは国家と権力の基本構造を規定するものを言い、成分であるか不文であるかは問わないが、とにかくも「国家の設計図」の性質を有していなければならない。その意味では、わが国初の実質的意味の憲法は、歴史上は正規に成立した「大日本帝国憲法」ということになるが、実際は明治維新期の「国体」が最初のものという事ができるであろう。

2 立憲主義の意味の変遷

 このように、実質的に「憲法」であるためには国家と権力の基本構造が規定されていればよい。従って、「我が国は元首を頂点とする国粋主義国家とする」としたり「憲法の定めに従って世俗の独裁者を置く」とする憲法の存在はあり得るのであり、国家運営にあたり憲法を立てることが立憲主義であるのならば、立憲的国粋主義国家や立憲的独裁国家は理論的には存在し得ることになる。先に、「立憲主義は憲法によって権力を縛る」概念であるという理解が、立憲主義の全てではないと述べたのはこのためである。しかしながら、近現代においては、立憲主義の語は専ら「憲法が権力を縛る」概念として理解されている。それは何故であろうか?

 それは、憲法が中世の絶対王政を打破し、社会契約に基づく国民主権を確立する文脈の中で成長を遂げたことと関係する。憲法の萌芽ともいうべきものは英国におけるマグナ・カルタであるが、これは強大な国王の権力を抑制する目的を有する者であった。その後、世界初の市民革命を経て英国は権利の章典を手にすることになるが、これもまた、国王の絶対的権力から国民の自由と権利を保護することを目的として有していた。これに続くアメリカ独立戦争後のアメリカ合衆国憲法もまた、英国議会の強権的な植民地支配からの米国民の保護を目的としていたし、その後のフランスの憲法もまた絶対王政からの人民の解放を目指すために制定された。

 このように、確かに理論的には立憲主義に基づく国粋主義国家や独裁国家の存在は否定されないとはいえ、実質的には憲法は絶対王政期の強大な君主の権力から国民を解放しその自由を保障することにその目的を置いて成長してきたのであり、従って中世を過ぎ近現代社会へと至った今、立憲主義が「憲法によって権力を縛るもの」という意味をもつことは歴史の必然なのである。故に、近現代社会にあって、「立憲主義の意味は、理論的には憲法による権力抑制に限られない」と主張してみることは時代錯誤なのである。

2 憲法の発達段階(近代的意味の憲法と現代的意味の憲法)

 事程左様に、近現代的憲法には、その成立の歴史的背景に基づき、国家権力の抑制と統御という意味を当然に持つに至った。では、このようにして成長してきた憲法の新旧はどのように図られるのであろうか?次にそれを検討したい。

 結論から先に述べると、憲法の新旧は制憲後の経過時間ではなく、憲法の発達段階によって測られる。従って、「制憲後70余年を経たから日本国憲法はもう古い」という主張は、的外れな主張であるということになる。それでは、憲法の発達段階とはどのようなものなのであろうか?

 まず第一に、原始的で純粋な立憲主義に基づく国家と権力の構造のみを規定する憲法は、原始的憲法と呼んでよいであろう。前述の通り、憲法と呼ばれるためには、国家と権力の構造を規定した国家の設計図の性質を有していなければならない。しかし、この原始的憲法は、国民の自由の保障という観点を欠いていても許されるものである。

 次の段階が、原始的憲法に人権保障のカタログ(権利の章典)が付随した憲法である。国家の設計図たる実質的な原始的憲法が人権カタログを備える時、それを「立憲的意味の憲法」または「近代的意味の憲法」と呼ぶ。極めて厳密にいえば、立憲的意味の憲法と近代的意味の憲法は区別され、近代的意味の憲法の方がより前進した憲法であるが、先に紹介した憲法史及び立憲主義の意味の変遷を考慮に入れれば両社はほぼ同義と考えて差し支えない。近代的意味の憲法には、国家が保障すべき人権の一覧がカタログ(これを人権カタログ、ないしは権利章典という)として備わっており、国家には国民の人権を保障する責務が課せられている。すなわち、近代的意味の憲法の下では、国家の為に国民が存在するのではなく、国民の為に国家が存在するという、中世の国家観と比してコペルニクス的転回が図られていることにその際立った特徴がある。これについては、社会契約に関する項目を立てて別途詳述することとし、本稿ではこれ以上深入りしないことにする。

 いずれにせよ、実質的意味の憲法に人権カタログが付随し、国家に国民の自由を保障する義務が課せらた段階が立憲的意味の憲法ないしは近代的意味の憲法と呼ばれる段階である。我が国を例に挙げれば、法律の留保が付された制限的な者であったとはいえ、一定範囲で人権の保障を認めていた大日本帝国憲法は、全く完全ではないが近代的意味の憲法の段階にあったということができる。

 この近代的意味の憲法が更に前進したものが現代的意味の憲法である。近代において人権の概念が強く意識され、それは天賦の神聖不可侵の権利であって、近代的意味の憲法のもとでは、国家権力といえども介入は抑制されるべきであり、最大限の尊重を要するものとされたが、他方で、自由在り方、幸福の追求の仕方については機会の平等が形式的に与えられればそれで足り、個人が如何に自己の人生を決定するかについて国家は過度に介入すべきでないことが是とされた。しかし、この形式的機会の平等の賦与という事柄が、自由市場における自由な競争という経済的側面と結合した結果、かえって不平等を拡大するということを人類は経験したのである。例えば、脚に不自由を抱えるものと、全く健常なものを同じスタート位置に立たせて、各人の能力に応じて自由に競争させるというというのが形式的機会平等の考え方であるが、その競争は結果は無論その過程においてさえ重要な不平等を内包していることは自明であろう。このように、個人の特殊性を最大限捨象して過剰に個人を人として普遍化した結果、制御不能なほどの不平等を社会に齎すことを人類は経験的に知ることにる。いわゆる「近代の失敗」である。すなわち、我々人間存在は、ひとりひとり異なる特性を有しており、その特性を無視して合理的に普遍化することは不可能なのであって、各個人の特殊性に着目し、各々の差異を補充して競争の条件を「形式的にではなく実質的に」調整する必要があることに気付いたのであった。また、人間は社会関係において常に合理的な判断を為し得るほど完成された存在ではない。結果、これらの点に着目して、形式的機会の平等のみならず、実質的な平等の実現を目指し、個々人の特殊性に配慮してその不足と差異を補充・調整し、社会全体を統御する役割を国家は負うべきであるとする考え方が誕生した。そして、憲法に保障されるべき人権を列挙するのみならず、それを実施的に担保する国家の役割と仕組みが規定されなければならないという段階へと昇華していく。すなわち、国家は、単に自由と平等を機械的に保障することに加え、人間が人間らしい生を全うできるように配慮する役割さえも負うとする段階への前進である。この、人間らしく生を全うする権利がいわゆる「社会権」であり、人権カタログに加えて社会権規定をもつ段階の憲法を「現代的意味の憲法」と呼ぶのである。

 以上から、憲法の新旧とは、政権からの経過年数ではなく、その段階によって測られることが理解されたであろう。すなわち、原始的憲法(実質的意味の憲法)、近代的(立憲的)意味の憲法、現代的意味の憲法とその歩みは進んでいくのであり、憲法の新旧とは、当該国家の憲法がどの段階にあるかによって把捉されるべきものなのである。同時に、憲法の段階が進むときというのは、中世から近代へ、近代から現代へと至るような、人類史的に大きなパラダイムシフトが生じた時であって、一国家の元号の変更という事実は、当該国家の国民にとっては大きな意味をもつにしても、人類史的な時代区分の変化というより大きな事柄には直結しないことも看取できるところである。(例えば、中世:含、近世は、鎌倉~江戸までに渡るし、近代は、明治、大正、昭和前期に渡る。近代以降を例にとっても、明治、大正、昭和ごとに新しい憲法が制定されたり改憲されたりした事実がないことからしても、元号と憲法の段階の変化の時宜が一致しないことは明らかである。)

3 日本国憲法は本当に古いのか?

 最後に、我が日本国憲法が、上記の尺度を用いた場合に、果たしてもはや古きに失したのか否かを検討したい。まず、日本国憲法は大きく、人権と統治の部分に分けて記述されているが、統治の箇所においてどのような権力構造を置き、相互の牽連関係を如何に設定するかが明確に規定されているので、実質的憲法であることは間違いない。

 次に、人権の項目が設定されているという事実から当然わかるように、人権カタログを有しており、近代的意味の憲法でもある。特に、日本国憲法の人権については、人権規定における叡智ともいうべき13条が設置されており、その近代性は極めて優れたものであると評価できる。

 更に、日本国憲法は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(第25条)」として、人間が人間らしく生きる権利、すなわち社会権規定も有しているので、現代的意味の憲法の段階にまでも達していることがわかる。もっとも、最高裁のプログラム規定説が定説として定着していることから、かつてのドイツ・ワイマール憲法程には完全に社会権が保障されているわけではなく、社会権の保障は国家の努力的責務ではあるが、国民の側からそれを積極的に請求することまでは認められないという留保が付されているため完全たる現代的意味の憲法であるとは言えないが、少なくとも体裁上社会権規定を有していることは間違いない。

 事程左様に、我が日本国憲法は、憲法の発達段階という尺度で測った場合、今なお社会権規定まで有する世界最新の憲法の一つであるとの評価に値する(プログラム規定説による社会権の留保を考慮すれば、厳密には現代的意味の憲法-:マイナスというのが正しい評価となろう)憲法なのである。(このように述べると、社会権規定保障をより確実にするという点では改憲の余地があるのではないか、という指摘があり得ようが、そのような観点から改憲議論がなされるのであればそれは大変好ましいことである。経年数によって憲法の新旧を定め改憲議論を展開しようとすることにあることが問題なのである。)

 従って、制憲(改憲)時から70余年を経たのでもはや古いという主張は、完全に誤りであるとわかる。我が日本国憲法は今なお世界最新の憲法であり、その中でも徹底した平和主義などの際立つ特徴を有する稀有で優れた憲法なのである。むろん、単に記載文言だけに限っていえば、日本国憲法以上に民主的で先鋭的な憲法というのもないではなないが、その規定が実施的に機能し国家の安定的運営を頑健に支えているという意味でいえば、おそらく日本国憲法は現存する世界で最も優れた憲法と評価しても決して過言ではない。

 よって、日本国憲法はもう古いと思うのは錯誤・錯覚である。繰り返しになるが、憲法の新旧は制憲からの経過年数ではなく、その発達段階によって測られる。そして、その尺度に従う限り、我が日本国憲法は今なお最新の段階にある憲法であるのであるから、我らはそのことを誇るべきでこそあれ、卑下することなど全くない。

 経年数に惑わされることなく、世界の様々な憲法と比較してもなお日本国憲法が優位性と先進性を備えていることが正しく認識され、無意味な議論に貴重な時間を費やして、あまつさえ憲法の段階を後退させるような事態に陥らないことを切に願う。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。