犯罪と就職氷河期の相関関係について

所感雑感
08 /19 2019
 他人を巻き込んでの拡大自殺、親の子殺し、子の親殺し、近時目を覆いたくなるような凶行が後を絶たない。よくよくこれらの事件について見聞すると、ある共通点気付く。無論、いずれも非常極悪で、倫理的にも法的にも強要され得るものではないということは言うまでもないことだが、それ以外にも注目すべき共通点がある。
 それは加害者ないし被害者が35~45、もう少し広げて32~48歳の年齢層に位置していながら、社会的紐帯の不十分な状況に置かれた人物に集中しているという客観的事実である。この世代は、丁度、高等学校、各種専門学校、大学等卒業時に、十分な雇用の需要が劇的に不足していたいわゆる就職氷河期の世代であり、加えて非正規雇用を一般製造業にまで拡大する労働環境に関する大規模な規制緩和により、大卒者さえもが、不安定な非正規雇用への就職に甘んじるか、機を待って自宅待機するかしかなかった世代にである。

 彼らの不遇は、今からしてみれば約20~25年程度前の時期のことであるが、その彼らを今に至って凶行に走らせる遠因は何なのか、それを探ることなく、単に凶行・犯罪の非道さのみを取りあげて論ずることは利に乏しい。当時、20~25歳であった彼らを平成不況(=就職氷河期)が容赦なく襲ったが、当時の彼らには、若さと親族の支援という時期と希望があった。「今は親に面倒をかけているが、いつか機が熟せば、自分にも機会が巡ってくるであろう」という期待感、ないし希望的観測を若さが支えた。

 しかし、その後の彼らを待っていたのは「失われた20年」と呼ばれる平成の大不況であった。年々景気は後退し、途中にはリーマンショックによる恐慌をも経験する中で、1つ、また1つと年齢を重ねていった。そして今、32~48歳という年齢に達してしまったのである。それまでの間、彼らには、学習する機会も、職能を成熟させる機会をも与えられず、キャリア形成に全く連結しない機会的労働に不安定な身分で従事するか、親族の支援に頼るほかなかった。そして彼らは、最後にして唯一の希望であった「若さ」をも失い、将来を全く展望できないところまで追い詰められてきてしまった。

 これといった就労経験や経歴、資格を持たない30過ぎから40前後の人間に、満足な就労など期待するべくもない。しかもこの世代にとっては、視覚や経歴があってさえ、なお就労困難の不幸に苛まれてきた。

 こうして追い詰めれられ、逃げ場を失った彼らが、もはや希望を失い、将来に対する見通しを持てず、生きていることの意味を自身の内に見出せなくなったことは想像に難くない。もはや彼らに残された道は、不遇をじっと耐え忍び、自己実現とは程遠い環境に身を置いて無意味な生を紡ぐか、高齢化する親族と共倒れになるか、自傷、他傷の凶行に走るかしかないのだ。故に、判で押したように、35~45(32~48)の世代が、犯罪、しかも極めて誰にとっても不幸としかいいようのないかたちでの悲劇的な行動へと駆り立てられるのである。

 確かに、同年代の多くが大凡普通の生活を営んでいる中にあって、凶行に走ることは到底許されるべきことではないし、競争を経済の原則に据える現代社会において、経済人としての自己確立の為に最も肝要な時宜に競争に敗北したという点では、「努力不足」、「自己責任」を指摘されるのはやむを得ない側面があることは否めない。しかし、1990年代後半から2000年代にかけての不況は、決して彼らの責任に帰せられるものではない。そもそも、それは社会の経済変動の影響であり、誰かにその責任を帰すことのできるような性質のものではそもそもないのである。

 これをもし、「偶然の悲劇」として片付けてしまうようであれば、我が国にはもはや救いはないと断じてよいであろう。

 当時とは裏腹に、近時はしきりに人手不足が叫ばれるが、しかし、求人情報等に目を通しても、「その仕事だけでは生活を維持しえない」ような低廉な賃金水準の職が圧倒的多数であり、これに加えて、30歳未満の条件を付すものも少なくない。こうした状況にあっては、彼らは完全に社会から切離されていると言っても過言ではない。今、国会及び政府が最優先で考えるべきことは、当該世代の、必ずしも自己責任のみに帰すことのできない要因によって限界的な生活状況に晒されている者たちの就労、及び生活安定である。

 人手不足を問題視して外国人実習生を、実質的に柔軟な雇用調整弁として機能させるような愚策に出るのはその後で充分である。自国民からなる労働力さえ有効に用いることができないでいるのに、外国人労働者等到底使いこなせるはずがないと知るべきである。

 就職氷河期(平成不況)に有望な若手労働者となるべきであった世代の救済、すなわち就労支援、雇用の安定化、必要に応じた就労訓練、大胆な起用等こそ、最優先で取り組むべき社会政策であるし、またそれは、それだけに留まらず、刑事政策的な課題であろうと観念する。

 当該世代の救済無くして、今後の少子高齢社会に必要な財源と人材を捻出することは不可能であるし、また治安維持の観点からも早急に改善策が施されるべきである。マズローの言うように、生活に必要不可欠な状態を欠く者は、より高次の自己実現を達成することはできない。それどころかむしろ、凶行に走る自己破滅へと向かうことになる。

 人は誰しも、この世に生を受けたからには、尊厳と居場所を要し、それを支える経済力が不可欠である。この視点を欠く者は、為政者として極めて不適格であると断じられてしかるべきであると考える。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。