国際社会における日本の立場

憲法概論
08 /06 2019
 現在の国際社会において、日本のことを「平和を志向する国際的な友好国家である」と疑いなく確信しているのは日本人だけである。一部の先進国(主にOECD加盟国)を除けば、我が国のことを、帝国主義的野心の芽が依然として完全には潰えていない、かつての大日本帝国と同質の国家であると見做している国や地域が決して少なくないことを我々は知るべきである。
 このことは、既に失効していると言われて久しくもなお、国連憲章に旧敵国条項(国連憲章第53条第1項後段)が削除されることなく文言上残存していることが如実に物語っている。とりわけ、旧日本軍による侵略を受けた中国、韓国・朝鮮、そして第二次世界大戦終戦直前に悶着して領土問題を抱えることとなった旧ソ連(現ロシア)にしてみれば、日本の自衛力強化は日本の再軍備化を想起させ、警戒感を強める事柄なのでる。

 安倍政権は、自衛隊の憲法への明記(ひいては国防軍創設への布石を打つこと企図して)、日米安全保障条約の強化(米国との間における集団的自衛権行使の限定容認)の必要性を声高に主張するが、こうした行為のひとつひとつが先に挙げた国々、即ち中国、韓国・朝鮮、旧ソ連(現ロシア)にとってみれば脅威的な挑発行動に見えるのである。つまりこうした日本の行動は、我が国の安全保障環境を盤石にするどころか、反対に極東情勢を一層不安定にするのみであることを知る必要がある。

 戦後、(主権国家に固有の必要最小限度の自衛権の行使を除き)非武装中立の立場を一貫してきたことは、極東情勢の安定とわが国の平和と安全の確保という点において大きな意味を有していた。なぜなら、国際社会といういわゆる広大な「世間」、「衆目」の中で、非武装中立を堅持する国家に手出しをすることは容易ならざることだからである。

 また、「自衛隊」、英語でいうところのJapan Self Defense Forceという言葉の意味が国際法上よくわからない事にこそ妙味がある。というのも、その妙味によって、非武装中立による絶対的平和主義という概念と、自衛のための必要最小限度の実力装置を持つという事柄の間に本来当然生ずべき矛盾を絶妙に回避することが可能となるからである(物事は何でも明瞭にすることばかりが能ではない。譬え欺瞞のそしりを受けようとも、知恵を駆使して理想と現実の間をうまく架橋することは、決して悪ではない。)

 加えて、現在の地球上に存するあらゆる国家・地域において、他国を侵略する目的をもって軍隊を設置している国家はもはや存在しない(国連憲章第2条および第6章各条)。即ち、各国軍隊は基本的に自衛軍ないし国防軍であって、他国侵略のための軍隊はもはや国際法的に違法化されているのである。(ただし、米・露・英・仏・中の5大国に限っては、拒否権行使による制裁回避が可能であることから事実上は他国侵略ができないわけではない点には留意する必要があろう。)

 従って、我が国が、憲法前文に謳う通りに国際秩序を信頼するのであれば、もはや軍隊は自衛目的でさえ必要ないのである。なぜなら、「他国による侵略の事態」等という事態は少なくとも国際法の建前上あり得ないからである。もし仮に恐れるべきことがあるとするならば、それは5大国の暴走である。

 5大国のうち、露・中には明らかに世界覇権に向けた野心がある。憲法において徹底した平和主義を掲げ、平和国家を自称するのであれば、彼らの野心を外交努力によって平和裏に挫くことこそ、第二次世界大戦において、加害国・被害国の両側面をもち、その反省から絶対的な平和主義に基づいて真の国際平和を希求する我が国の国際平面における最大の責務である。そして、それを果たして得たときにこそ、我が国は、憲法の要請でもある国際社会における名誉ある地位を得ることができるであろう。

 いずれにせよ、軽々に現状を変更して、防衛力を強化し、極東諸国を刺激すべきではない。かの惨劇の末に我が国が到達した非武装中立という概念は、世界平和実現への端緒となるべきものであって、我ら日本国民が世界に向けて誇るに値する叡智の結晶なのである。その希少性と価値をひとりでも多くの人々と共有できることを願って止まない。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。