なぜ自ら死を選択してはならないのか

所感雑感
08 /04 2019
 「なぜ自ら死を選択してはならないのか?」、「生以上の価値観を知覚できる人間には、尊厳の為に自律的な死も許されるべきではないか?」と問われたならば、果たしてどう応答するのが適当であろうか。
 我々人間が最も畏怖すべきであると同時に、我々には如何ともし難いことは、「将来の不確実性」である。我々は、予測を超えて将来を確知することは絶対にできず、現在の決定ないしは行為の結末についてはただそれを甘受するより外なく、自律的に結末を統御することは不可能である。

 そして、人間にとって最も予測不能な要素が「死」である。我々は、生きている間には、絶対に死後の世界を了知することはできず、またそれを知る者から様子を伺うこともできない。つまり、死とは人間にとって最大の不確実性である。故に、死を自ら選択することは不合理であり、最たる愚策であると言うべきである。なぜなら、死が救いである保障はどこにもないからである。

 生が困難と苦しみに満ちているとしても、死が救いになるとは、何人も保障することはできない。死後、そこに救いがあるのか、今以上の苦しみが待ち受けているのかは誰にもわからない。故に、我々は、今が如何に生き辛く悲しい人生であるにしても、その中で生きる道を模索するより他ないのである。

 人は、生まれ出でたその瞬間から死に向かって時間を辿っていく。しかし、その終末たる死が何を齎すかは全く分からいままに生を彷徨わねばならない。それが果たして何を意味するのか、生にそもそも意味などあるのか、これは誰にもわからない。しかし、死が救いであるという確証がない以上、我々は、如何なる苦境にあってもなお生を選択すべきである。

 いつか我々が、死という名の最たる不確実性から解放される日は果たして訪れるのであろうか。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。