人類と他の動物との差異-社会的自殺と私的自殺-

憲法概論
08 /03 2019
 人間は社会的動物である、という事実を否定する者はまずあるまい。生後間もない乳飲子が、親または保護者の庇護なしには生存すらままならないことひとつをとっても、その事実は明らかとなる。そしてそこには乳飲子と保護者という人的関係、即ち社会的関係が見出されるわけである。
 他方、人間以外にも社会的関係を構築して生活を営む動物は、昆虫から霊長類に至るまで、多種多様に存在する。蜂や蟻、サバンナで群れをなす獣類や類人猿がその好例であろう。では、これらの動物種が形成する社会的関係と、人間のそれとは如何なる点で異なるのか?
 我々人間は、自然法則から離れた人為的な規範を持つ、高等で複雑な言語を用いて意思疎通を図る等、他の動物にはない幾つか注目すべき特徴を有してはいるが、最も人間に特徴的、というよりもむしろ人間にしか見られない特性を挙げるとすればそれは自殺である。

 人間以外にも自殺を行う動物は存在する。例えば蜂は、外敵を攻撃する際に針を射出するが、それと同時に内臓が脱落するというが、それが死を意味するのは明らかである。他にも群れを保護するために自爆を敢行する爆弾蟻も自殺を行う動物種として著名である。それでは、こうした生物種の行う自殺と、人間のする自殺との差異は奈辺に求められるであろうか。それは、自殺の目的に収斂されるといってよいであろう。
 
 即ち、蜂にしろ自爆蟻にしろ、自殺を行うのは自己の所属する群の補語、つまり同属の種の保存に目的の全てがある。自己という個体を犠牲にすることによって、所属集団、つまりは社会的結合全体の崩壊・滅亡を防ぎ、もって同属の種の保存を図っているのである。事程左様に、人間以外の生物種の行う自殺は、全て種と社会(群)の存続維持を究極目的としており、個体固有の目的で自殺を行うわけではない。約言すれば、それは社会的自殺である。

 他方の人類も、これらの生物種と同様、(それは大抵の場合、ある個人が所属する主権国家であるが)社会全体の利益の為に自己犠牲を払うことは確かにある。自殺とは少々概念が異なるが、戦争における志願兵等はその一例である。他にも、暴漢に襲われた他人を救う為に自らの生命を犠牲にするということもあり得るであろう。こうした場合、その自己犠牲の目的が社会または他己の生命の維持持続、即ち社会の存続に向けられている点において、社会的自殺であるということができる。これはある意味で、人間における動物性の名残であると言えるかもしれない。

 しかしながら、人間は社会的自殺を目的としない、極めて個人的な理由でも自殺を行うことがある点で、他の動物種とは画然と異なる。このような個人的理由に基づく自殺を個人的自殺と呼ぶことにしよう。

 個人的自殺の例としては、例えば、信奉する宗教の教義に従っての集団自殺、挫折等の絶望による自殺、何事かを成し遂げた後に訪れる喪失感による自殺等があげられる。これらはあくまでも私的な事情による自殺であり、社会の維持や種の保存には全く無関係な生命の棄捨である。

 宗教的自殺については、特定範囲に限定された閉鎖的なものではあるが、ある特定の社会性を垣間見ることができる(なぜなら、宗教集団という部分社会が形成されているから)が、しかし、全人類的な観点を欠いており、その点でやはり私的自殺に分類されると言うべきである。こうした私的自殺は、ナショナリズム、宗教観、道徳観の他、美醜、善悪、信条等、私的な、或いは閉鎖的な部分社会の価値観に基づいて為されることが専らである。

 つまり、我々人類は、その人生において、生命や種の保存以上の価値を求め、その価値の実現を自己の生命に優先させることがあり得る特殊な生物種なのである。端的に言えば、種の保存という目的を超えて、自己の為の固有の目的の故に、人類は全く私的に自殺を為すことがあるということである。従って、おのずから、他の動物種が形成する社会性と人間のそれとは異なったものとなる。繰り返しになるが、他の生物種のする自殺は遺伝的な種の保存の一点に尽き、社会を構築する目的も同様であって、各個体は社会構造全体の一構成要素以上の意味を何ら持たないのである。

 それに対して、人間の構築する社会には、種の保存を超越した多様な価値観から成る私的要素が混入する余地があり、公と私の二元的な構造を有していると言える。よって、人間社会の安寧的持続ということを考える際には、私的領域と公的領域の二元構造を前提にする必要があると言わなければならない。

 そうであるならば、人間の形成する社会における公私の線引きはどのような基準を用いてどのように行うのが妥当であるのか、次なる課題はそこにある。

※続きは「公私に係る憲法の境界策定機能と自由率」参照。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。