普通選挙制は真に民主性に貢献するか―緩やかな制限選挙の可能性―

憲法概論
07 /18 2019
 普通選挙制は民主主義の成熟と充実に真に資するであろうか?あるいは、普通選挙法によって多様な世論が議会(国会)に反映され、あらゆる階級の利益は等しく吸収・反映されていか?ともし問われたならば、私は直ちに「それは真である」と応答することに躊躇いを覚える。民主主義はいうまでもなく、多種多様かつ多元的な民意を議席配分という形態に再構成し、そうして構成された議会での討論を経て少数意見に配慮しつつも、主権者たる国民(有権者)の多数意見に対して一般意思という輪郭を与える制度である。
 かつて人々は文字通りに血を流して選挙権を獲得し、普通選挙制を実現させた。1票の投票権は文字通り血の1票である。しかし、戦後スキームの長期間に渡る停滞と、経済的効果のみで成否ないし是非を判断する新自由主義の浸透は人々の政治的関心と熱意を侵食し、投票行動を大きく鈍化させてしまった。このことは、近時の選挙において投票率が半数程度かそれをも下回る現状が如実に物語っている。

 他方で、我々には選択の自由がある。自由選挙が保障されることもまた自由という観点からは重要な意味を持ち、軽々に投票を強制することもまた好ましいことではない。しかし、民主主義社会において投票行動に参加しないことは、その他投票に参加した背局的な民主的市民が選択した制度にタダ乗り(フリーライド)していることになる。社会保障制度、上下水道、道路等の各種社会インフラは、民主的な意思決定過程を経て整備されているわけであるが、しかし、フリーライダーはその決定過程に参画することなくこれらを利用していることになる。こうした状況が果たして公正に適うのかと問われたとき、その反応に窮する。

 特に、国家の根幹である憲法改正が現実味を帯びる今、フリーライダーの存在が多数に及ぶことに危機感を禁じ得ない。ではどうすればよいというのか?思うに、選挙権を無条件に賦与するのではなく、政治的・社会的関心を問うようなある種の試験ないしはアンケート等を実施し、それを受講した者には選挙権を付与するような仕組みを導入する方法がひとつ考えられる。その試験ないしアンケートは合否を決するような類のものではなく、あくまでも民主的な意思決定過程への参加意思があるか否かを問うものとし、敢えてその意思をしめそうとしないフリーライダーには、選挙権を付与しないとともに、公共インフラ使用の代償として税率を上乗せすればよいと考える。

 あるいは、投票したか否かは、秘密選挙であるとはいえ、把握は出来るわけであるから、選挙権を行使しない者にはやはり増税をする仕組みを導入することが考えられよう。民主主義は主権者たる我々ひとりひとりが、民主的であろうと懸命に努力を続けて、かろうじて維持できる脆弱な仕組みである。従って、民主的意思決定に参加しないことに対して何らかの不利益を与えることは、民主制を維持・確立する上では必要悪であると考えても大過なかろう。

 民主主義に対し、積極的態度をとるのか、消極的態度をとるのか、その選択は自由である。しかし、民主的意思決定を是とするのであれば、消極的であることに対して一定の制裁が加えられることは必ずしも否定されえないと考える。コンドルセの定理が正しいという仮定のもとでは、とにかくも投票率を上げる必要がある。その意味では、緩やかな制限選挙は、民主制の健全な維持という観点からは、完全な普通選挙制よりも、一層確実性の高い方式と言えるのではないだろうか?
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。