自由意思の閉鎖性と経済活動との関連性

所感雑感
07 /18 2019
 我々人存在は、それが内心にとどまる限り如何なることを考えていようと完全に自由であり、自らの意思で表出しない限り―暗黙の予測として悟られることはあるにしても―その内心を他者に知られることはない。つまり、人間存在は、互いに相手の思考や印象を明瞭には確知できないままに相互的に意思疎通を行わなければならないということである。さらに、一層事を難しくするのは、言葉や表情による意思疎通の仕方は、必ずしもその言葉通り、あるいは表情通りではないことがしばしばであり、かつ、当該相違点を―予測的にではあるが―見透かされる場合があり得ることである。更に、自由市場経済を基礎とする競争社会においては、ある程度の駆け引きは必要やむを得ず、ある意味で、意思疎通が率直でないことの方が良い場合にしばしば直面する。
 このように、我々は極めて予測困難かつ不明確な状態で常時意思疎通をすることを強いられるのであり、これらの性質がコミュニケーション障害等の一因なのであろうと考えられる。社会学の用語に、社会性に重きを置き、相互距離を十分に話したうえで意思の交換をするゲゼルシャフトという語と、それとは反対に、相互距離を接近させて親密に意思交換をするゲマインシャフトという語がある。一般的には、人間はゲゼルシャフトな関係とゲマインシャフトな関係を相手に応じて使い分けながら、他者と適切な距離間を保って社会的関係を構築するのが良いとされるが、その塩梅が極めて難しいのであり、その上手下手が当該人物の社交性構築能力の高低を決定づけることになる。全ての人々がゲゼルシャフトな関係しか取り結ばないのであれば、社会は合理的ではあるが殺伐とするであろうし、他方ゲマインシャフトな関係のみが取り結ばれるならば、相手ととの自由意思が直接的に鋭く対立する事態をも招くこととなり、複数人による社会関係の構築そのものを著しく困難にするであろう。従って、結局ゲゼルシャフトな関係とゲマインシャフトな関係の程度を調整しながら社会的関係を構築すべきという一般論に回帰せざるを得ないことになる。

 人間が、社会という場において取り結ぶ関係は本当に複雑である。それを面倒だと感じたとしても我々が万能でない限り、「社会」という名の檻からは決して解放されないという厳然たる事実が存在する。果たしてどうすれば、我々人間存在は、他者ととの距離を適切に保ちながら社会関係を構築していけるのであろうか?

 思うに、それに資するのが自由率の考え方である。自由率の詳細については別の機会に語ることにするが、約言すれば、自由が10あるとした場合に、7の満足と3の我慢を皆が行うという事であり、また自分がされて好ましいと感じないことは他人に対しても行わない、ということである。この自由率を全ての人が実践すれば、この社会をもう少し生き易いもの、自己実現のし易いものに変革していけるのではないかと感じる。

 しかしながら、自由市場経済に置行ける競争がその実現を著しく困難にする。なぜなら、競争においては相手を出し抜くことが求められ、かつ他人より優位に立たねば競争に勝てないからである。そして勝者は10やそれ以上の満足を得、敗者は満足を全く得られないかごくわずかしか得られないという状況が生まれるが、これは一種の構造的な搾取であり、人間存在の社会性をむしろ破壊する方向に機能するように思えてならない。A・マズローによれば、人は生存に不可欠な段階から始まって、段階を追って自己実現に向かう欲求へとその水準を高めていくとされる。そうであるならば、経済的に困窮し、租損が危ぶまれる状況に追い込まれると、精神的、ないし心理的な抑圧を受け、一層社会的関係の構築が難しいものとなる。というのも、身近な人物とゲマインシャフトな関係を構築し、立場に応じてゲゼルシャフトな関係を正常に取り結び得るためには、精神的ないし心理的余裕が経済的余力が不可欠だからである。

 失われた20年と呼ばれる期間と、その間にグローバリズムと結合して世界中に死の種とも呼ぶべき経済的格差を撒き散らしてきた新自由主義は、空前絶後の大成功者を小数生み出した一方で、圧倒的多数の経済的敗者を量産し、彼らから経済的余力と心理的余裕の双方を奪ってしまった。故に、昨今、多くの人々、特に1980年生まれから前後5年の期間に生誕した者にとって極めて生き辛い世の中となってしまったのである。こうした状況を改善するためには、ひとつには、医療を中核とする精神保健衛生の制度的拡充と、政府による強制的な富の再分配が効果的な処方箋になるであろうと考えられる。

 経済的余力なくして承認欲求の充足はあり得ない。個々人の承認欲求をよく満たし、その高揚がより一層の経済的活動の充実を促すという好循環を齎すことが今の日本社会には求められていると観念する。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。