労働と報酬の不均衡について

所感雑感
07 /16 2019
 近時、有効求人倍率の推移が堅調であり、我が国の経済は着実に回復しつつあると政府は高らかに胸を張る。確かに、一時期と比較すれば、求人広告の数は増え、また一枚の求人広告に掲載される求人情報の量も多くなっている。それは、疑いようのない事実であるが、その求人広告の内容を見るや、愕然とせざるを得ない。
 なぜなら、その多くがワーキングプア水準かそれ以下の賃金水準でしかなく、とても家庭を持ち、ゆとりをもって子育てをしているだけの金額には遠く及ばないからである。看護師等の高度な訓練や資格を要する、所謂テクノクラートに分類される職種でさえ、同様なのだ。全国民の平均年収が400万程度というのは、いったいどこの国の話なのであろうか?
 人口が明らかな減少局面を迎えた今、労働力の再生産は国家の急務である。外国人研修生を労働力に取り込み、急場の人手不足を解消するという離れ業を、全面的に否定しはしないが、彼らが景気変動に応じた柔軟な雇用調整の弾力性を向上させるための捨て駒であることは一見して明らかである。そう遠くない将来、都市部を中心に、仕事にあぶれた外国人スラムが形成され、治安上看過できない深刻な問題を必ずや生ずるであろう。その危険性さえも考慮した上で制度設計がなされているのか、非常に気掛かりである。特に「限られた資力の中で、日本人の人権を外国人に優先することは合理的な区別である」とした著名な判決の存在も波紋を呼ぶ。外国人は、決して日本国の都合で取捨されるべき柔軟な労働力などではなく、保障されるべき人権を備えた人間である。その意識を欠いて彼らを用いることは、もはや合法的搾取であるとさえ言え、断じて許容されるべきものではない。

 職業選択の自由、充実のワーク・ライフ・バランス等、様々な概念が魅力的に語られはするが、1日8時間、週40時間実直に労働に従事すれば、必要最低限度の尊厳ある人間らしい「家族生活」を営めるだけの経済力を労働者に獲得させ得るだけの市場環境を整備することこそ国家の責務であると考える。国民総生産世界第三位を誇るよりも、圧倒的大多数の国民が、生活保護水準やワーキング・プア水準の職を求めるより外ないという現状に対する危機感をこそ為政者には噛み締めてもらいたい。

 今の状況は、競争力の不足によるものではなく、富の再配分機能に起因する有効需要の不足であることに気付き、そのための処方ををこそ為すべきである。とにかくも、現在の最大の問題は、不況の原因が有効需要の不足にあるという事実と、中間層より下層の多数者に有効需要を創出するだけの経済的余裕、即ち収入がないことであり、また、蓄積された富がそのまま上層に固定し、市場経済全体に還流せず、富が適切に再投資され、分配されていない現実が為政者によって直視されていないところにある。

 繰り返しになるが、1日8時間、週40時間労働に従事してなお生活保護水準やワーキング・プア・ラインを下回る求人を「有効求人」として有効求人倍率の算定に取り込み、外形上求人倍率が増加しているかのように取り繕うことは直ちに止めるべきである。是非、政府には、1日8時間、週40時間労働に従事すれば、生活保護水準やワーキング・プア・ラインを越える求人だけに基づいて有効求人倍率の算定をやり直して頂くよう提案したい。形式的な体裁がいくら整っていたとしても、実質がそれに追いついていなければ、事実上問題が解決したことにはならないのだという意識を為政者には持っていてもらいたい。

 労働は、義務であると同時に権利でもる。非自発的失業者数の軽減、及び、賃金水準の上方修正は、市場において政府が果たすべき富の再分配機能の極めて重要な一部である。トリクル・ダウンなき上層への富の蓄積は形式的(みかけの数値的な)経済回復の対外的又は対内的なアピールにはなっても、実質的な国内の貧困問題は何ら解決するものではない。富を循環させるポンプの機能が正常に働くことを願うばかりである。

 そもそも、市場における行為主体に、企業と家計の他に政府が登場するのは、企業と家計に自由に経済活動をさせていたのではかえって深刻な不平等をしばしば生み出し社会の混乱を招くから、そうした混乱を未然に防ぐために必要な規制を為し、富の偏在を解消して市場全体に富を再分配し、国民の活力を増すことで労働力の再生産を活発にして、一層競争力を高める監視役としてであったはずである。しかしいまや、その監視役たる政府が圧力団体の圧力に容易に屈し、富の偏在と労働における人権の蹂躙のいわば片棒を担ぐような有様であり、既得権益に連なってその偏狭な循環の枠組みに組み込まれている小数の勝者は格別、その枠組みの外に置かれた圧倒的多数社は、度重なる競争の敗北に疲弊しきっている。

 競争それ自体は確かに悪ではない。しかし、競争は結果として、かならず小数の勝者と多数の敗者を構造的に生み出す。勝者は得、敗者が失うのは一見正しいように見えるが、実は論理的必然性はどこにもない。ただ、長い歴史の中でそのように実践されてきたというだけである。敗者は競争の不可欠の構成要素であり、勝者は、敗者なくしては絶対に存在できない。ならば、勝者の富は敗者に還流され、その還流された富を基に新しい勝者が誕生し、更にそれを還流してという具合に循環を生み出してこそ、競争は意味あるものとなるのであり、その還流の為のポンプの働きをするのが政府であるということを、為政者にはもう一度熟慮して頂き、今の経済政策について是非、猛省して頂きたい。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。