共通の敵を持つことの意味

国際法
07 /08 2019
 人類とは本当に悲しく浅薄な生き物だと思う。共通の敵があるときには、その敵に対応するために団結するが、ひとたびその敵を排除してしまうと今度は身内同士で争うことになる。平和である為になんらかの対立を内包していなければならないというのは何とも表現し難い皮肉である。9.11を期にテロとの戦いが本格化したとき、5大国の足並みは完全にではないにせよ、少なくとも表向きは対テロ、テロリズムからの国際秩序の防衛と回復で一致していたが、タリバン政権が崩壊し、テロリストとの間における緊張が緩和をみせた途端、日米、独仏、中露北は各々の結束を強め、英国は独自路線を選択し、国際社会全体としての調和の紐帯はむしろ弱体化した。本来であれば、イスラム原理主義に基づくテロリズムをほぼ一掃した今こそ、民主主義、自由主義、そして善い意味での価値相対主義によって世界がグローバリズムの完成によって世界人類としてまとまるべきはずであろうに、むしろ現在はその反対で、価値観の比較的共通するもの同士の紐帯はより強固に、異なる価値観を持つ者同士は距離を取るようになった。世界中で純化と分断が進んでいる。
 一時は、北の核開発がテロの次の新しい世界共通の脅威になるやに思えたが、中露は北の擁護に回る一方、日米は厳しい非難の立場を取り、その対応の温度差が顕著に見えるようになった。また、欧州でも、東ヨーロッパもその勢力圏に取り込み、EUの連携はより確かなものになるかと思われたその矢先に、英国のEU離脱決定が冷や水を浴びせる格好となってしまった。仏独間関係が比較的安定しているのが救いだが、現在の仏は移民に対して機微なところがあり、安定的関係がいつまで維持されるかは不透明である。米トランプ大統領の北との関係改善という電撃作戦も、世界中の期待を集めはしたものの、その交渉は結局物別れに終わり、振出しに戻った感がある。あまつさえ、北との間に適度な緊張関係がある方が米中の直接対立の緩衝材になってむしろ良いという論調すら許すようになり、米中間を中心に世界は動揺を隠さない。

 事程左様に、5大国のうち、英と仏、米と中露の間には、対立とまではいかないまでも、さりとて若干でもない距離感があり、現状では安保理の機能不全が懸念される。仮に米と北の緊張が緩和を見せたとしても、今度は日米対中露の対立構造がより先鋭化するのみで、世界平和とは程遠い状況しか生まれてこないように思える。

 しかし、だからと言って再び世界中がテロリズムの脅威に怯えるというのもまた望ましいことではない。要するに、5大国の間に世界平和の実現とは異なる思惑があることが最大の問題である。米・露・英・仏・中の5大国は、自国利益に優先して世界の調和と統合を推し進め、世界平和を安定的に実現する立場にある。それ故に、民主的な過程を経て決定した国連総会決議をさえ拒む拒否権が5大国には賦与されているのである。覇権に向かう野心を隠さない中露、統合よりも大英帝国の復活を目論む英は、その方針を捨てられないのであれば5大国の地位を放棄すべきである。また、世界の警察たる地位よりも自国利益を優先させるなら米も同様である。米・露・英・仏・中がは5大国に収まってこそいるが、彼らは民主的な正統性を得ているわけではなく、単なる歴史の偶然である。勝てば官軍とは当にこのことで、特に中・仏に至っては第二次世界大戦で虐げられた敗戦国を代表する立場で5大国の座にあるだけであり、第二次世界大戦中、あるいはその後に世界平和実現に向かう顕著な貢献をなしたわけではない。米・露・英は、確かに第二次世界大戦を終戦に導いたという意味で、その貢献は是認されるべきであるが、終戦後のわずか5年ほどの内に、今となってはさほど重要であったともいえないような経済的イデオロギー対立のために冷戦に突入し、世界平和に向かおうとする未来像を根底から覆滅したその罪は極めて重いと断ずるべきである。

 このように、現在の5大国は世界平和実現のための先導者とはとても言えない国々で構成されている。しかし、5大国は元来、世界平和実現に向かう先導者でなければならない。そこで私は提唱したい。第二次世界大戦後期から終戦に至るまでの歴史的事情によって5大国を固定すべきでなく、世界的規模における民主的な方法によって新しい5大国を選出する仕組みを早々に整えるべきであると。世界平和を真に実現しようと思うなら、独自の価値観を持つムスリムとの相互理解と互譲は欠かせまい。ムスリムの利益を代表する国家が5大国に組み入れられることは有意義であると考える。そうでなければ、中東の狐はいつまでたっても国際社会における不安定要素にしかならないであろう。

 また、中南米、アフリカ、東南アジア等、いわゆる後進国の代表も加えるべきである。どのような構成とするかは後々の課題として先送るにしても、少なくとも現在のような、大国の恣意的な拒否権の濫用に世界中が振り回される状況だけは早急に是正されるべきであることは間違いない。

 本来、戦後スキームと呼ばれたものが目指したもの、すなわち国際平面における自力救済禁止の為の集団安全保障体制の構築、及び世界人類の超国教的な緩やかな融和と共存という理念は今なお決してその正しさや可能性の輝きを失ったわけではない。ただ、第二次大戦後に生じた冷戦構造と、その後のテロリズムとの戦い、続く中露の台頭という出来事によって当初目的が大きく頓挫しているだけであり、その本質的意味と価値は何ら失われてはいないのである。

 幸い、我ら日本民族は、民主主義や法治主義という社会的価値観を世界の多くの国々と共有しながらも、宗教的に無色透明に近いため、各宗教観関係を調整し得る潜在的可能性を有している。我らがそれを為し得たならば、敗戦の痛みの中で我らが希求した国際社会における名誉ある地位を、必ずや得ることができるであろう。そのためにも、我らは非軍事的中立の立場を貫き、武力による威圧や威嚇とは異なる仕方で、世界の様々な価値観を架橋する存在となるべきなのだ。それが、第二次世界大戦に関する我が国の贖罪であり、22世紀に向かう中で果たし得る使命であると確信する。戦後70年余り、非武装中立を基軸に据えて大きな経済発展を遂げた我が国は、非武装中立であっても経済をはじめ種々の観点において国家として成功し得ることを世界に示す嚆矢となり得る地位にある。それは、国際社会博司と言えどもわが国唯一の地位である。その国際的栄誉を軽々に手放すべきではない。我が国は、この70余年でただ一国、世界平和実現の可能性を体現して見せている。そのことを大いに誇ればよいと私は思う。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。