国際的な相互依存が深化する中での世界平和構想

国際法
07 /03 2019
 国際平和の実現などというといかにも気宇壮大な感があり、一般的な価値観や考え方とは別異の理論構造に依拠しなければ到底成立しえないような錯覚を覚えるが、国際社会といえども、行為主体が、人民から国家へとその規模を拡大するだけであって、結局のところ、相互に交流し、腹の探り合いをしながらお互いの利害得失を皮算用している所謂世間であり、それ程特別なものというわけではない。
 そこでは常に衆目が光っていて、相互監視と相互評価が絶え間なく行われている。このような状況において、「全く暴力に依拠することはせず、その証として暴力的手段を一切放棄する」と宣言して無抵抗を公言している対象に向けて、暴力的手段をもって挑みかかることは容易ならざることであり、周囲から蛮行のそしりを受けることは免れ得ない。特にグローバリズムの深化によって経済的な相互依存が深化しており、相互間における通商の成否が当該国の存亡をも左右しかねない昨今の状況において、当に国際社会という衆人環視の中で蛮行に打って出るには、相応の覚悟をもってでなければ為し得ないことである。

 つまり、相互依存度を高めた現代の国際社会を客観的に冷静に俯瞰するならば、国家の安全保障政策として非武装中立を採用することには一定の合理性が認められるのである。蛮行によって国際社会における信頼を失墜させるならば、おそらく得るものよりも失うもののほうが多かろう。従って、非武装中立戦略は決して夢物語や幻想ではなない。ただ、相手となる国家が中露である場合は、多少事情が異なる。なぜなら、彼らは5大国に属し、国際社会という広大な世間からの反発を受けても動じることのない強固な国際的権力を有し、拒否権を濫用すれば、仮に蛮行に打って出るにしても、自らの頭上に正義の鉄槌が振り下ろされることは絶対にないという極めて特殊な地位にあるからである。

 本来、国連安全保障理事会の常任理事国の使命は、国際平和の保障であって、覇権に向かう野心など微塵も抱くべきでなく、むしろ野心を抱く国家を諫めることにその責務がある。しかし今や、盟主たる米国は自国第一主義の旗を掲げてその責任の放棄を試み、英国は人類統合の潮流に逆行してEU離脱を決定し、仏は集団暗線保障への疑心から核武装に走り、残る中露は前述の通り、覇権に向かう野心を隠すことすらしない。

 世界平和の実現をこそその最たる責務とすべき5大国が今のような有様では、確かに日本も実効的な自衛に足るだけの実力装置を予め用意しておくべきとの論調が高まるのは無理からぬところがある。しかし、第三次世界大戦が生じたならば、それはおそらく核戦力を基軸とする絶滅戦争になるであろうことは忘れてはならぬ事実である。我々人類は、破壊という点においてだけは既に神の領域にある。

 それでは、国際社会はどのような方向に舵取りをするべきであるのか。思うに、国際社会が相互高依存の状態にある今、もう一度国境の線引きを明瞭にして国民国家の独立性を強化するというのはもはや困難である。後戻りはできないのだ。ならば、思い切った国連改革こそ求められよう。主要な点は3つある。

 第一に、各主権国家の主権の一部委譲を受けて、各主権国家のより上位に位置する世界政府を(もちろんそれは民主的な方法により組織される)を樹立すること、第二に、世界平和への関心を有しない国家が強権を濫用しないよう、民主的な手段によって安保理の常任理事国を選任すること、第三に、国際司法裁判所の権限を強化して国際平面においても各主権国家内におけるのと同様の自力救済の禁止を徹底的に確立することである。

 これらの改革が実現すれば、もはや各主権国家は他国の武力に怯える必要はなくなり、核兵器もまたその存在意義を失い、全面的な核廃絶が現実味を帯びてくることになる。我ら人類は今日まで、万難を排して生き延びてきた。また、経験から学ぶ知恵と未知の世界へと果敢に進み行く創造力を有している。

 世界平和は必ず実現する。その核心が揺らぐくとはない。今こそ、その核心決して揺るがせることのないように、現在用意されている唯一の手段である国連の改革を断行し、その機能不全を修復して、万全の働きを為し得るようよく仕上げることが世界平和を実現する途であることを、全世界的な価値観として人々が共有すべきときである。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。