選択と責任に係る考察

憲法概論
07 /01 2019
 「いかに行動するか、最後は個々人が自分で考え、自分で判断するしかない。生きるということはそういうことである(長谷部恭男『日本国憲法』解説)」と長谷部先生は仰るが本当にそうであろうか?
 自由な意思の発露の機会を保障することは確かに根源的な事柄であり、それ自体は大いに首肯されるべきである。他方、真に自律的で自由な選択であると言い得る為には、選択の結果についての大凡の蓋然性に関する予測が成り立つ場合に限られよう。例えば、何を食べるかを選ぶとき、どれがどのような味で、どう自分の腹を満たすかに関する予測が十分に立つからこそ選択できるのであり、選択の結果を見通すことのできない選択は危うくてできないし、そのような不安定な選択にまで選択結果に対する義務を負わせることは妥当であるとは評し難い。
 しかし、一方で社会とは未知の集合体である。次の刹那のこと等基本的には知るすべなどない。結局、選択結果の善し悪しは、数字を選ぶ形式のくじと全く同じである。こうした状況を本当に自由であると言えるのか?義務を負い、権利を得るのは、結果についての予見可能性が担保された時に限られるべきである。

 我々は二重の自然から大凡の自由を獲得した。天然の自然(以下、摂理)については、まだ一部に不自由も残るものの、科学の発展は旺盛にその不自由を超克し続けている。権力の自然からは、中世から近代に至る市民革命の過程で克服された。しかし、第三の自然とでも呼ぶべき垣根が我々の前には厳然と立ちふさがっている。それは将来の不確実性からの自由である。これに対する備えとしては、各種保険が一定の効果を上げるが、人生のありとあらゆる選択に保険をかけるということは、物理的・客観的に無理がある。結婚生活の破綻に備える保険等はその好例となろう。そういった保険の商品化が仮にできたとしても、本来の趣旨を離れて悪用されることは目に見えている(保険金目当てで偽装結婚し、保険の支払い条件を充足するやいなや、意図的に離婚をしてその保険金を着服することは想像に難くない)。結局、保険という手段でもって人生の全てを解決することは不可能である。ならば我々はどうすればよいのであろうか?

 社会保障制度の拡充こそ肝要であろうと思う。進学、就職、職責、結婚、出産、養育、介護。我々はあらゆる場面であらゆる選択を迫られ、ひとつ選択を誤れば競争原理により過酷な状態に置かれる。特に、我が国のように再起が格別に困難な社会においては、ただ一つの誤選択が文字通り命取りになることさえあり得る。蛮勇とも言うべき無謀な選択については格別、一定の合理的選択を為したにも関わらず、それが不調に終わったときには、その結果について救済に与ることのできる体制を築くべきである。

 国家の資力といえどもそれは有限である。しかし、競争原理の下では、選択を誤り敗北した者が存在するということは、翻って、必ず勝利を収めたものがいるはずである。競争である以上、全員が勝者であり、または全員が敗者であるということはあり得ない。そうだとすれば、勝者の利益が敗者の損失を上回る限り、双方が等号をもって均衡するような制度的保障ということは出来得るはずであると考える。再起の可能性を封じることは、次の勝者が誕生する芽を摘むことに等しい。勝者の得物によって敗者を養い、新たな競争力を再生産して持続的に競争を維持することこそ、目指すべき社会保障の在り方であろう。その意味では、トリクル・ダウンを謳うアベノミクスは、その理念の方向としては正鵠を射ている一面がある。しかし、シャンパンタワーの頂点にあるグラスがあまりに大きすぎで、富を注げど注げど、一向に下のグラスには滴り落ちてこないことが最大の問題であり、数字上の成果のみを強調し、実質的にトリクル・ダウンが友好的に生じているのか否かを実証しようとすらしない現在の政府の姿勢にはやはり疑問を呈さざるを得ない。積まれたグラスが全て富で満たされてこそのシャンパンタワーであり、トリクル・ダウンの奏功である。加えて、過疎地を含めたあらゆる地域で、実質的に人々が十分に生計を維持できるだけの富の分配を齎すようなトリクル・ダウンでなければならない。この点で、政府には猛省を促したいところである。

 また、選択の正しさは成功と直結するわけでもない。例えば今でこそ印象派を代表する巨匠ゴッホは、絵を描き続けるという正しい選択を為しながらもその生涯は困窮に終始した。つまり、選択と結果の因果律を予め知ることは今の我々にはまだできないのである。

 法は不可能を求めるものではない。ならば、我々は法に依って将来の不確実性から解放されるべきである。その法に理念と限界を与えるのが、まさに憲法であり、その憲法は、世界から遍く「恐怖と欠乏を」取り除くことを要請している。ならば、我々は、政府に対し、将来の不確実性から我々を解放し、選択を誤ったのちの再起の可能性を保障するような社会保障制度を実現する法制度の成立を求めていくべきであると考える次第であるが、それは果たして無理難題な要求なのであろうか?
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。