人間の本性について

覚え書き
06 /30 2019
 食べて、眠り、繁殖する。動物の本性はそれらに集約される。ならば、動物の一種である我々人間の本性もまたそこに集約されるのであろうか。むろんこれらの要素は人間存在にとっても生存と種の保存の為に不可欠の要素であることは間違いない。しかし、人間は他の動物とは異なり、事理善悪を直観するとともに同情と憐憫という他の動物には知覚できない感覚を感受し、美、徳、正義といった人間存在に固有の概念を理解する。故に、三大欲求に加えて、幸福を追求し、自己実現を果たしたいという第4の欲求を持つ。
 この欲求が他の欲求と異なるのは、他の欲求の充足には一定の限界があるのに対し、それは際限なく追及されるところにある。富の蓄積と蓄積された富の交換価値に着目した人類は、ある者は持てる富を投資して新たな富を獲得しようとし、またある者は有限の生命を労働力として切り売りすることによって生存の糧として富を得、可能ならばそれを蓄積しようと試みてきた。知恵ある者は知恵を、力ある者は力を用いるといった具合に諸活動を展開し、芸術、科学、宗教といった形式を与えることを通して歴史を積み重ねてきた。そしてそれらの諸活動においては常に競争が行われ、知恵や力等の諸要素により優れた者がより多くの報酬を得るという形で延々とその営みを続けてきたのである。即ち、人生とは競争であり、勝者はよりよく自己実現を果たして幸福に至り、敗者は持てるものをも奪われて強者の前に屈従した。その際、敗者は自己の尊厳をも失い、生命の危機にすら瀕することが度々であった。

 もし、人類がかのジャレド・ダイヤモンドが語るように、第3のチンパンジーに過ぎないのであれば、この結果は確かに自然の摂理である。思い起こせば、我々は生命を得る瞬間から競争に晒されており、より優れた精子のみが卵子との邂逅を許され、新たな生命として結晶する。また、その競争がより質の高い生命体を錬成するために行われるものであることは明白である。

 こうして我々は常により優れた美、徳、正義を追求しつつ現代にいたる。地球環境が静かに、しかし確実に、もはや十分に数を増した人類を支えきれぬという悲鳴を上げる程に繁栄を極めた我々の姿を見ると、競争によって優劣を決定し、勝者のみが生き残るという有様は正しいことであるかのように思えてくる。しかし、本当にそうであろうか?

 間違いなく、我らはより優れたもの、より美しく力強いものに惹かれる性向を持つ。しかし、もし仮にそれだけに終始し、敗者や弱者を顧慮しなくてもよいのだとすれば、我々に同情や憐憫の情が備わっていることの理由を説明できない。人間は、他者の苦心を理解し、思いやり、赦し合える心を持つ。競争における知的能力を仮に精神と呼ぶならば、こうした情は魂とでも呼ぶべきであろう。聖書は語る。人は紙の似姿に創られており、肉体、精神、そして魂を持つと。そうであるならば、今こそ我々はその魂の部分を活かすべき時であるように観念する。即ち、弱者の折れた脚を支え立たせ、弱者に救いの手を差し伸べるのである。その為にこそ、我ら人類は、自由・平等という概念に到達し、遍く世界から恐怖と欠乏を取り去る為に、世界平和の実現とともに、互いの文化的多様性を理解し、受容することを介して人類を緩やかに結合しようと試みてきた。もはや自衛すら必要とせずとも平和は実現できるということのためのテストケースが戦後日本の完全非武装平和主義体制であり、人類は国境の垣根を越えてなお統合できることを示そうとしたのが欧州連合の試みであった。

 その挑戦から70余年、そのいずれもが、悲しいかな綻びを見せ始めている。その要因はグローバリズムの風に乗って瞬く間に世界中を席巻した新自由主義の負の側面であったと断じても大過なかろう。それは、自由市場原理による世界的な競争を喚起し、富める者が持たざる者から一層多くを侵奪し、貧富の格差を回復不能なまでに決定づけた死の種であった。

 しかし、慄くことはない。我らには他者に同情し、共感して憐憫を垂れる素養を備えている。競争それ自体は悪ではないし、グローバリズムが目指した超国家的な人類の共存それ自体も誤りではなかった。過ちは、競争原理の為すがままに自由市場を世界的規模で無秩序に拡大すれば膨大な富が創出され、誰もが幸福に与れると誤信したことに尽きる。従って、我々はまず初心、即ち第二次世界大戦直後に立ち返り、先の失敗を踏まえながら当時目指した到達点に向かって、既に生じた諸所の歪みを矯正しつつ、新たな歩みを改めて始めることである。

 人は誰しも生まれながらにして自由・平等であり、自律的に(自由に)幸福を追求する神聖不可侵の権利を有し、他者のもつ同様のそれを不当に侵害する場合を除いて、いかなる妨げをも受けることなく、各人に備わった素質を十分に活かして可能性の翼を雄々しく拡げることの出来る存在である。その全き自己実現を果たす為に、動物としての人間の特殊性、自由の意味、実現すべき平等の在り様、そしてそれらの外延を全人類にまで広げる為の処方箋を考えるべき時に至っていると思料する。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。