社会における勝者と敗者に係る考察

所感雑感
06 /29 2019
 我々はとかく見過ごしがちであるし、当然とさえ認識しているきらいがあるが、自由市場における行為主体は勝者だけではなく敗者やフリーライダーが含まれ、その全部で競争は成り立っている。著名な格言が示す通り「競争それ自体は悪ではない」し、競争によって技術は革新され新しい富が創造されているのは間違いのないことである。しかし、競争の勝者のみが富を一手に掌握し、敗者は徒労に終始するに甘んじるより外ないという認識は誤謬である。蓋し、圧倒的多数の敗者が競争に参加したからこそ勝者は誕生できるのであり、フリーライダーもまた、市場では消極的ではあるにせよ消費行動に参加して市場における勝敗の決定を左右している。そして、何より看過してはならないことは、自由市場経済における競争とは(民主的な過程を経て構成されたことを前提とする)政府が準備した公共インフラを介して行われるという事実である。
 民主制社会においては、その「政府による公共インフラ」は多寡の違いこそあれ、競争参加者の全部が創出した富の一部を集積し、それを基に構築され準備される。そして、このような過程を経て準備された公共インフラに関して、大きな利潤を得る勝者はより多くの機会と量においてそれを利用するのであり、敗者は遥かに小さな規模でしかそれを利用しない。つまり、利潤を多く得る者はより多くの公共インフラ資源を、利潤の少ないものは相応のわずかな公共インフラ資源しか消費しないのであるから、公共インフラの整備、即ち国家の資産たる租税の負担については累進性こそが合理的であり、逆進性は不合理であると改めて知るべきである。

 また、勝者は多数の敗者の屍の上に立つのであり、敗者なくして勝者たることはできない。加えて、勝者は敗者よりも一層多くの公共インフラ資源を利用し、消費するのであるから、社会構造の維持についてより大きな責任を負うこと(つまりより多額の税負担をすべきこと)は当然である。加えて、政府は公共インフラを充実し、誰もが利用しやすい状況、即ち競争社会の機会的平等が実現するように集積された富を再配分することがその使命であると心得るべきである。

 従って、累進課税を強化し、公共インフラを改善することで、市場における富の還流を積極的に促し、もって人々に平等な競争機会を政府は提供するよう努めなければならない。加えて、競争とは常に相対的なものであるから、小数の勝者の足元には、圧倒的多数の敗者が存在していることを看過してはならない。要するに、敗者の存在無くして勝者の存在はあり得ないのである。よって政府はその富の再配分機能を十全に活用して敗者を救済し、再びその競争力を回復させることによって、一層の競争機会を提供するとともに、競争社会全体をより活発にするよう努めるべきである。

 敗者の復活をおそろかにしたまま競争を続けることは、漸次的に勝者を絞り込むことに繋がり、最終的には一強他弱の状況を生み出すことに繋がるが、これは望ましいことではない。競争は還流と循環を伴ってはじめて健全に機能するのである。故に、政府及び政治家は、自らの保身に有利に働く圧力団体の要求を飲むことばかりに目を奪われることなく、平等な競争機会を付与し、社会全体の競争力とその持続力の向上を目指して活動するべきであるし、主権者たる我々もまた、それらを踏まえた上で為すべき投票行動を決するべきである。

 近時、有効求人倍率が全国的に回復したと政府は頻りにその政策の成果を強調するが、求人情報を見る限り、時給は800円台半ばからせいぜい1,000円程度であり、身分保障のない非正規雇用の職種がその大半を占めている。1日あたり8時間、月20日で計算した場合、1月あたり128,000~160,000が相場であり、とても家庭をもって3人の子どもを十分に養育できるような賃金水準にはない。単純な人口減は社会全体に富の減少に直結することを忘れてはならない。我が国の平均年収は400万円を超えると一般に報じられるが、2月分のボーナスが2回、つまり1年あたり14回の賃金支給があると仮定した場合でも、時給に換算すれば約1,800円の水準が必要になり、現実との差は極めて大きい。少子高齢化を乗り切り、若年労働人口の回復を図ることを本気で目指すのであれば、労働者の全てがこの水準の賃金を与えられるよう強制的に富を還流する政策を政府は打つべきである。

 未曽有の金融緩和によって市場に排出された富を少数の勝者に一極集中させ、他の圧倒的多数の労働者を疲弊させるような国家に未来などあるはずがない(一説には人口の10%が富全体の7割を占め、更にその大半を1%の人口に集中しているという試算がある)。還流すべき富それ自体がないのならば格別、世界第3位(1人あたりでは依然世界第2位)の富は確実に今も生み出されている。これをうまく活用して平均的な収益力を改善・向上し、経済面での実効的な子育て支援に政府は舵を切るべきである。国際競争力の低下が心配なのであれば内需主導に政策転換すればよい。グローバリズムやリージョナリズムそれ自体は否定しないが、現在のそれらは世界中に不平等な競争という死の種を撒き散らしているのみで、満足なものではない。国際協調は言うまでもなく我が憲法の要請であるが、我が国を利さない構造にわざわざ自ら身を投じる必然性はない。歪な国際構造の是正に尽力することもまた国際貢献のあり方のひとつであると知るべきである。

 生きたいと願い、懸命に自己の可能性を追求して努力する者の、その努力と過程こそが報われる社会の実現を主権者の一人として願わずにはいられない。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。