自己紹介

ご挨拶
01 /10 2019
 憲法について、その内容の詳細を語る前に、私自身のことについて少しお話しておく必要があるように思えます。
 
 といいますのも、近時、改憲実現の可能性が向上したことに触発されて俄かに憲法議論が盛んになってきたものの、しかしその論者の大方が憲法の門外漢であるか、さらに言葉を選ばずに素朴に言えば、憲法についてほとんど知らないか、おそらくきちんと勉強したことはないであろう者が、ただなんとなく感覚で語っているというような印象を拭いきれないからです。

 むろん、言論の自由が属する精神的自由は内心にとどまる限り絶対不可侵であり、それが表出される場合でも、公共の福祉に照らして重大な違背となるような特段の事情がない限り、最大限の尊重と配慮が求められる基本的人権の中核であることは言うまでもないことですから、だれもが自由かつ平等に憲法についてその思うところを発言するのは基本的には良いことです。
しかし、憲法は今後の国家のあり方、及び当該国家と国民との関係性を最高法規として決定づけるものですから、その議論は歴史的経緯も含めて慎重かつ正確に行われる必要があります。一面的な視点に基づく学術的な論拠に乏しい感情的な価値判断に依拠して議論することは、無益を越えてむしろ危険でさえあるのです。

 とはいえ、歴史的経緯も含めて憲法それ自体をある程度正しく知ることは容易ではなく、単に大学法学部で法を学んだというだけでは必ずしも十分とは限りません。まっとうな議論に耐えるためには、少なくとも、一般的な大学法学部の科目名で挙げるとして、憲法それ自体はもちろんのこと、他に基礎法学、哲学(または法哲学)、外国法研究(=外国憲法史)、近代私民法一般(公法と私法の目的と機能の違いを理解する意味で)、国際法(=国際公法)、世界史及び日本史(特に中世から近、現代史)の学習を要し、できればそれらに加えて行政法、政治学、政治史、社会思想、法制史を学んでおくのが好ましいと思います。少なくとも、よほど卓抜した理解力と適正な想像力に恵まれた学生でない限り、法学部で憲法を学んだだけで憲法議論に耐えられるだけの学識を形成することは容易ではないでしょう。

 個人的には、主権者たる国民にとって最大の関心事であるはずの憲法について、そのもっとも肝心な部分が、大学法学部のごく一部の限られた空間に閉じ込められ、しかも、憲法を知ろうとして関連科目を意識的に選択していかなければその基礎的理解にさえたどり着くのが難しい現状を率直に残念だと感じますが、事柄の性質上やむを得ないのかもしれません。

 いずれにせよ、憲法の理解には相応の勉強が必要です。これは、勉強していないのはダメだ等というようなことを言いたいのではなくて、これらの必要な勉強が不足していると、例えば、「憲法とは何か?」、「社会契約とは?」、「人権カタログとは何か?」、「憲法と法律の関係は?」、「主権の意味は?」、「立憲主義とは?」、「法の支配や法治主義の意味は?」、「制憲と改憲の差異は?」といった、凡そ憲法の議論の前提として必要不可欠な知的基盤を成すべき諸概念を、歴史的な経緯と意味を踏まえたうえで正確に理解することが相当困難であるということを指摘したいのです。逆に、こうした問いに十分に答えられるのであれば、門外漢であるかどうかというのは、もはや問題ではありません。要するに、議論のための(必要不可欠な基礎的)知的基盤を身につけた上で発言しているのかどうか、その一点に尽きるのです。

 これら諸概念の進展の経緯と意味を看過したまま憲法を議論することは、蒙昧で無意味な理想論への傾斜か危機感を背景に人権の抑圧に走る逆行を招くよりほかの役割を果たさないと言って大過ないと思います。憲法はごく短期的な一時の状況に左右されるようなものではなく、人類が、人類史上発見してきた普遍的価値を実現するために、国民と国家が取り交わす契約であるということを心に留めておいていただければと思います。

 ちなみに、どのような発言が憲法門外漢のものであるか、例を少し挙げておきましょう。例えば、①「戦後確立してきたプライバシー権や知る権利などの新しい人権を人権カタログに加えるべきだ」、②「緊急事態に際して国民の義務を憲法に書きこもう」、③「日本国民が旨とすべき道徳を掲げよう」などという主張は、およそ傾聴に値しません。いずれも、前述の憲法議論のための不可欠の知的基盤を欠いているからです。簡単に説明するならば、①は13条の機能に関して無知、②は近現代的憲法の本質が権利章典であるという歴史的視点を欠いており、③には法と道徳の混同が見られます。よく耳にする主張ですが、苟も憲法を学んだ者からすれば、どれも「まったくわかっていない人たち」による改憲案であると評さざるを得ないものばかりなのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、私自身について少しお話します。

 まず、私は、憲法の専門家、つまり憲法学の学者や研究者ではありません。その意味で、こうした地位にある先生方の学識に比べれば、私のそれには歴然と劣る所があります。他方、法学部としてはそれなりに著名な大学のむろん法学部を卒業しており、先に挙げた諸科目はすべて履修し、かつ、それなりの成績を修めています。加えて、卒論科目は憲法で主題は安全保障でありましたから、憲法(特に、人権保障を確実にするために国家権力は何を成すべきかということ)については相応の勉強をしてきましたし、その後も、憲法をめぐる諸課題についての関心を大きく持ち続けてきました。今の法学部に卒論?と訝しがる向きもあろうかと思いますが、私の大学の法学部の私の所属していた過程は卒業要件として最近まで卒論を課しておりました。つい先ごろ、卒論が卒業要件から外され、自由選択科目になったという話も聞きましたが、私の在学中は卒業要件科目であり、きちんと執筆した後、論文に基づく卒業試験を通過しています。

 従って、私は憲法の専門家ではありませんが、さりとて全くの門外漢というわけでもありません。結局中途半端なやつだと言われれば返す言葉がありませんが、憲法を私なりに懸命に学び、それなりの成績を修めてきたことは事実です。少なくとも、憲法について語ってみようと試みるだけの資格はかろうじて備えているとは言ってよいと自負しています。その実、このブログの記述については、少なくとも法学部の学生さんが拙稿を引用してレポート等を作成された場合でも、どこの馬の骨とも知れぬ奴の記述を参照するとはけしからんという注意は受けうるにしても、参照の内容それ自体について間違っていると言われることはないだけのクオリティは維持しているつもりでいます。

 なお、このブログの記述は原則引用・参照自由ですが、事前に断りなく日々不規則的に加筆修正します。むろん、内容の実質が修正前後で矛盾するようなことはありませんが、微細な言い回しや言葉の選択は頻繁に変わることがあります。また、内容の実質を大きく変じるような加筆修正を行う際には、各記事の文頭においてその旨と、修正箇所の要約を添えるようにします。

 更に、当ブログはコメントを開放していますが、ここは日本国憲法の意味と真価を記録することに主眼があり、議論を目的とはしておりませんので、賛成意見、反対意見ともにそのひとつひとつについて個別に回答することは原則としてありません。私の主観において特に興味をひかれた場合に限り、例外的に回答させて頂く場合があります。同旨のご意見を複数頂戴することがあるようなときは、記事内で所見を申し述べることがあります。

 質問は随時受け付けています。書いていることの意味が解らない、より詳細に知りたい、関連する書籍はないかなどについては、コメント欄に記載して頂けましたら幸いです。質問については、それが純粋な知的好奇心によるものであると思われる限り、できうる限り回答するよう努めます。

 以上、私自身とこのブログの自己紹介とさせていただきたいと思います。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。