競争とその必要性

覚え書き
06 /09 2019
 人間は本質的に競争的な存在である。そもそも生物学的に勝利した遺伝子のみが生き残り新たな生命を紡ぐのであるから、競争それ自体は悪ではないというより外ない。むしろ競争によってより善く人格が仕上げられ、自己実現を目指して前進することができるのである。よって、競争は人間にとっては不可欠の要素であるとさえいうことができよう。しかし、競争には必ず「勝敗」の概念が付きまとうこともまた事実である。

 勝利は確かに喜ばしいことではある。しかし、勝者が常により善く優れ、敗者は常に悪しく劣ると観念する必然性はない。むしろ圧倒的多数の敗者が存在して初めて勝者は勝者たり得るのであり、「敗者なき勝利」などあり得ない。従って、敗北は競争という事柄を構成する不可欠の要素と言いうべきである。しかし、もしそうであるならば、勝者のみが大きな富に与り、敗者は貧困を甘受するより外ないという発想は必ずしも正しい考え方ではないと解すべきである。

 こうして考えてみると、富の分配については競争の結果、即ち勝敗の事実によってではなく、競争に参加したという過程を考慮してなされるべきといえなくはないだろうか?
 むろん、競争それ自体は人間存在の生存維持にとって必要的である。競争は革新と前進を促し、より優れた善きものを生み出すからである。従って、問題なのは勝者のみが称えられ、敗者は一顧だにされない現状であろう。競争を前提とする社会的枠組み全体の運用という観点から求められるのは、敗者を落伍者として競争の舞台から排除し退場させることではなく、むしろ敗者に対して積極的な救済策を講じて競争の舞台に回帰させることにより、競争それ自体を一層活性化させることである。それは社会全体の進歩の段階を昇華させるよう機能するであろうし、我々人間存在は「何が」新しい発見や進歩の契機をもたらすかを事前に見通すことはできないので、敗者を排斥して次の機会を簒奪することは社会全体にとっては損失であるとみなすべきである。

 従って、勝者が創出した富を敗者に対して大胆に再分配できるような構造転換が求められると考える。眠れる人材を発掘して、次なる成功の機会を与えることこそが肝要であろう。勿論、富の再分配の恩恵に与ることのみをあてにして積極的に競争に参加しようとしないフリーライダーの出現を懸念すべきであるが、それをただ恐れるだけでは、主権国家の国境を越えた競争を強いられる現代という時代において我が国がこれまで築き上げてきたような優位性を今後も保ち続けることは難しくなるであろう。

 人口が明らかに減少傾向に突入している今、限られた人的資源を如何に発掘して成長させるかは文字通り我が国にとっての喫緊の死活問題であると捉えねばならない。即戦力のみを求め、それを道具のように使い捨てるここ20余年のやり方では我が国の将来はいかにも暗いと知るべきである。

 人材の再発掘と再教育、そして再活用こそが、新たな競争を生み出し、我が国の競争力を一層強化するであろう。間違っても、それを忘れて、より効率的な人的資源の使い捨て方法等を考えてはならないと努々肝に銘じておかなければならない。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。