自由とは何か?

覚え書き
05 /24 2019
 「自由とは何か?」と問われたならば、それはおそらく、「無限の可能性の中から自在に決定をなし得ることである」と定義してよかろう。そこには当然、他人を殺し、欺罔し、奪うことも含まれる。「主は与え、主は取り去り給う。主の御名は誉むべきかな」という聖書の有名な一節を引くまでもなく、神の領域に於いては生殺与奪についても全き自由が存在する。では、神とは異なる我ら人間存在の享受する自由とは果たしていかなるものなのであろうか?
 我々人間存在もまた、内心においては同様の完全な自由を有するが、しかし、社会的関係を取り結びながら有限の時を生きることを運命づけられた我々の選択肢は狭小となることを免れ得ない。そのためにはまず何が許され、何が許されないのか、その範囲を画定する尺度が必要となる。それは時に道徳であり、人倫であり、宗教的戒律や権力に裏打ちされた強制的命令であったり法であったりするわけであるが、それらの概念は相互にいかなる関係性を有しているのか。

 更には、現在において、法が権威として存在するのは何故なのであろうか。この古くから議論され続けてきた問題の答えを探し求めることは決して容易なことではないが、我々はあえてそれを発見することに力を注がなければならない。

 動物は天然の自然法則がもたらす制約に完全に服従するより外ないが、人間はこれまで科学技術を駆使することで物理法則を解明し、応用することで天然の自然が課す限界を超克してきた。その意味でも、我々はやはり他の動物とは異なる生き方を運命づけられた存在であり、天然の自然法則のみならず、他に何らかの規範を持たねばならないであろう。

 その規範とは、道徳、人倫、強制的命令、法等様々な形のものが考えられるが、人間が遍く服従すべき規範とは一体なんであるのか、その影を追い求め続けることが我々の生存の意味の一つなのではないかと思えてならない。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。