なぜ規範に従うべきか(社会契約とは異なる観点より)

その他
05 /23 2019
 暴君によって定められた全く恣意的悪辣なものでない限り、否、仮にそうであったとしても規範、すなわちルールには何らかの意味がある。その意味とは、その規範に従順である限り少なくとも当該社会での安全や安寧が保障されるということである。規範に従わないことが、当該社会の一部においては利益を生み出し、或いは一部の違背者間の関係を円滑ならしめる効果を有するということは確かにあり得るだろう。

 しかし、その違背が露見したときには、その違背者のみならず関与した者全てが当該社会の求める制裁を受けることとなり不利益を被る。従って、当該規範の瑕疵が一見して重大かつ明白であるような特段の事由がある場合を除いて、基本的に規範には従う方が当該社会全体としての福利を大きくすると考えて大過ないというべきである。小さな綻びがやがて大きな裂け目を生じ得ることをよく心に留め置かなければならない。
 
 しかしながら、違背を発見した場合に、それを密告することが正義に適うのかどうかと問われれば即答するのは難しい。当該社会内での、ある違背者の存在が、当該社会全体を脅かすような程度のものではなく、且つ、それら違背者らの社会における関係性を円滑に向上させるのであるならば、あえて不正に目をつむるのも善事かもしれない。特に違背されている規範の瑕疵がとりわけ大きくないときには積極的にそうすべきであろう。なしかし、やはり如何なる規範にも意味と目的があり、通常、当該社会集団全体の円滑な調和を実現するためにそれは設定されているのであるから、全体の福利が最大になるような場合、或いは違背者の形成する部分社会が致命的な制裁を被る虞が多分にあるときには、あえて密告の方法を選ぶこともまた悪徳が善事に転化する有意義さを見出せるものと思う。

 個人を始まりとして、家族、地域社会、地方公共団体、主権国家、国際社会というように社会的規模は段階的に大きくなるが、それら全体を安全かつ安寧に維持するためには、各段階において規範が正常に遵守されていることが不可欠であると考える。善悪でいば、密告は最も陰険で救い難い悪徳の一つであろうが、全体の福利を目的とする場合で、かつ、違背者に対する私的な個人的攻撃でないのであれば、あえて為すべき選択であると考える。

 規範が存在し、それに積極的に従うべきであると考えるとき、その人は、規範の内容に基づいて自分がこれから為すことの結果を予見することができる。そして、為そうとする行為を規範に照らして鑑みたときに制裁を被る蓋然性が高いと見積もられるときには当該行為の実行を自律的に抑制することができるようになる。その意味でも、規範は原則的に遵守されるべきであり、その違背は回避されるべきであって、社会全体の福利の為にされるのであれば違背に係る密告の害悪性は阻却されるといえよう。

 規範の内容によって賞罰を予見できる場合も多いが大凡において、規範への違背、将来に対する不確実性に直結する。そして、人間存在にとって最も統御が困難であり且つ畏怖すべき者こそこの不確定性である。よって、その意味でもやはり規範は原則的に遵守されるべきであり、違背者を密告することの害悪性は、その密告自体に悪意がない限り許容されるべきであると考える。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。