憲法に自衛隊を明記することの意味

憲法概論
05 /08 2019
 近時、「災害時や緊急時に命懸けで国民を守ってくれている自衛隊を、困ったときには頼るのにそうでないときには違憲だというのは、隊員諸氏に失礼であるし不自然である。彼らを憲法上の存在に位置付けて、自身と尊厳をもって国民の為に力を尽くしてもらうことが必要だ。そのために、9条1項2項の平和主義は変更することなく自衛隊を憲法に明記して意見論争に決着を付けよう」という主張が盛んにされている。
 なるほど、確かに理解できない話ではない。しかし、こうした意見を主張する者たちは、自衛隊を憲法に記載して白黒をはっきりさせることの危うさを本当に理解したうえで発言を行っているのか、そこには疑問を呈さざるを得ない。
 憲法に自衛隊を明記するということは、諸外国に対してどのような宣言をすることになるのだろうか?
 現在の国際平面では、5大国の拒否権の為に機能麻痺に陥っている感が少なからずあるとはいえ、国連憲章に基づく集団安全保障の枠組みにおいて世界平和を実現することを企図している。この「集団安全保障」という概念は、以前わが国で大論争となった「集団的自衛権」とは全く異なる概念であり、国際連合にいわば世界警察の役割を担わせ、世界各国が自衛権行使による自力救済に依拠せずとも世界平和を実現しようという考え方である。こうした趨勢は、かつての冷戦によって夢想化したかに見えたが、湾岸戦争や9.11の後、再びその機運は盛り返し、たとえその歩みが遅々たるものであったとしても全身を続けている。潮流の勢いが緩慢であるとはいえ、そうした方向に向けて世界が平和を模索している時に「自衛隊を憲法に明記すること」は、果たしてどのような意味を持つのであろうか?それは、次のようなメッセージを世界に宣言することになる。

(1) 我が国は日米同盟による個別的自衛権をより有利と考えるのであり、国連中心の集団安全保障の枠組みに優先する。
(2) 武力行使や武力による威嚇に対しては武力でもって毅然と対応する。
(3) 日米同盟に基づき、日本市民およびアメリカ市民を殺すのであれば、その敵対者をも殺す。

 自衛隊の憲法明記は、上記のようなメッセージを世界に向けて、国の根幹たる文書によって主張することを意味することになる。これが、わが憲法の前文が高らかに謳う平和主義と明らかに異なることは事理分別が十分ではない子どもでもわかることであろう。このような主張を展開すれば、東アジア地域を中心に各国は日本の再軍備化とそれに乗じた軍事的台頭を警戒して一層軍備強化を推進することはほぼ間違いないし、中露の軍拡に格好の口実を与えることになる。そして、その動向を受けたわが国は、更なる優位な地位を求めて彼らを凌ぐ軍備競争に勤しむこととなり、たちまち果てしない軍拡競争の連鎖を生み出すことになるであろうことは確実である。

 軍拡競争による勢力均衡:バランス・オブ・パワーは、戦争抑止について一定の効果があることは歴史的に確認されているが、同時に、その均衡がひとたび破綻するや世界を巻き込む大戦に発展することを我々はこれまでに2度も経験した。破壊という意味ではもはや神の領域に達しつつある人類が、もし、次に勢力均衡を破綻させて核戦争にでも踏み込めば、それはもはや全人類規模での集団自殺以外の何物をももたらさないのである。 自衛隊装置として自衛隊を憲法に明記することには、このような結末を齎しかねない危険が潜んでいることを努々忘れてははならない。

 自衛隊の合憲性については白黒を明確にすることなくグレーに保ったままに、周辺状況の変化に応じて柔軟に難局を切り抜けていく。小賢しい方法かもしれないが、これも立派な知恵であると思料する。

 いずれにせよ、自衛隊の憲法明記というのは、単に「日本は自衛装置として自衛隊を持ちます」という事実表明以上の含意を含むのだということを一人でも多くの人々にどうか知って置いていただきたいと思う。

 「9条があるから日本は自衛戦争すらできない。れっきとした独立国家が自力で時刻を満足に防衛できないなんてあり得てよいはずがない。自衛隊を合憲化し、ゆくゆくは国防軍を持つべきだ。国際連合を中核に据えた集団安全保障の実現という戦後スキームは失敗に終わったのであるから、改めねばならない」このような主張とよく出会うが、その論者は「戦後スキーム」という言葉の意味とそれが真に何を実現するために構築されたものであったのかを本当に正しく理解しているのか?どうしても疑問を拭い切れない。恒久的な世界平和の実現と全人類の平等の実現という戦後スキームに込められた世界人類の願いを、世界に生きる我々ひとりひとりがもう一度最初から見つめ直す必要がある。

 核兵器が存在する今、「破壊」という点において我々はすでに神の領域にある。世界同時的な核兵器の一斉廃棄という事柄が成就しない限り、自滅の危険はすぐ背後にある。もはや後戻りはできない。人類の自滅という最悪のシナリオを回避するには、世界人類ひとりひとりが寛容と自制の心を温めるより外ないであろう。極めて難しい事柄ではあるが…。

 国際紛争の最大原因は有限な有用資源の争奪にあり、これを国民国家という単位で獲得・配分しようとするから衝突が生じるのである。国家の国境という理念的な境界線を超克して、必要なところに必要のものを配分するという視野を持てば、状況は必ず変えられる。21世紀を生きる我々に必要なことはグローバリズムでもエスニック・ナショナリズムでもなく、誰もが世界人類であるという同胞観を共有することである。宗教、科学、美意識と言った各国家・民族に固有の価値観を越えてこの同胞観の共有を最優先の目標に据えれば、我々は個人として真の自由と平等を獲得できると確信する。
 
 人々の革新、これこそが22世紀に向けて今を生きる我々に課せられた課題なのだと確信する。
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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。