自由と平等(試考)

覚え書き
03 /18 2019
 自由というこ言葉は多義的であり、英語も主にfreedomとlibertyが使い分けられる。前者は「選択の自由・自律的選択」という意味が強く、後者は「束縛からの自由」の意味が強い。

 わが国では、バーリンの自由論の影響力を強く受けたせいか、或いは、第二次大戦中の国家っ権力による容易に言葉にし難い人権制限に対する反省の点からか、自由といえばliberty、即ち国家権力からの不当圧力による束縛の自由を把捉する傾向があるように思える。しかし、自由とは本来、与えられた生命を全うする中で自己実現をするためのものであるのだから、自分の人生の選択を自律的に自由に決定するfreedomの意味の自由と、その決定に際して権力的な妨害・抑制を受けないというlibertyの意味の自由の両方の意味を備えていると解するのが相当であろう。無論、放任や無秩序とは全く異なる概念であり、それらは混沌であって自由ではない。

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自由論試考

覚え書き
03 /16 2019
 私は、法理学や法哲学を専攻したわけではなく、実務法学を主として学んだにすぎない者なので、かような者が自由論を論じることには大層気が引けるが、実質的平等の実現を真剣に考えるのであれば、自由論は避けては通れない道であり、分不相応は承知の上で自由論について試行することにした。

 まず、自由とは何か?と問われたら、それに答えることは容易ではない。ただ、「自由とは束縛されないことだ」とはいうことができるかもしれない。では、その「束縛」とは何であるのか?すなわち、何からの自由なのか?

 これについて、わが国の法律学の世界ではバーリンの自由論の影響が強いためか、自由といえば「権力からの自由」という認識を持たれることが多いが、しかし、自由とは、必ずしも個人の人生上の選択に対する国家権力による(概ね不当な、あるいは不合理な)介入からの自由だけを意味するわけではない。

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職種と賃金格差に関する試考

覚え書き
03 /11 2019
 「職業に貴賤はない」と言われながらも、実際には職種によって得られる賃金に相応の開きがあることは周知の事実である。故に、人は少しでも条件の良い職を探し、あるいは安定した身分と賃金が保障される公務員のような仕事に就こうとする。

 しかし、職種による賃金格差が貧富を決定づける現在の経済構造は果たして本当に手放しに是認できるものなのであろうか。いわゆる勝ち組的職種に就職できれば富を得、反対に負け組的職種に就くならば貧困に陥るしかないという事態ははさも当然の切離であるかのように認識されているが、大いなる疑問を禁じ得ない。加えて、負け組から勝ち組に転身できる可能性が皆無に近いこともまた切なさを誘う事実であろう。そもそも、いかなる職業であれ、その職業が社会に存在するということは、その職業ないし職種がその社会全体の機能維持のために必要的であるからである。なぜなら、不必要な職種は競争原理によって淘汰されその存在を失うはずであるからである。従って、経済的分配、すなわち職業労働者に対する報酬は、その職種が生む経済的効果の多寡とは切離して、別の観点から支払われるべきであるように思う。

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自由と平等に関する試考

覚え書き
03 /07 2019
 中世から近代への変遷を経て現代に生きる我々は、いまや自らの人生における自律的な自由と権利を有する。しかし、今なお、その選択から思うままの結果を得る自由を有してはいない。選択の結果における自由を有しない我々に、本性的に選択の自由があると言えるのだろうか?

 我々の生とは、それは第一に与えられた生、すなわち人生という有限の時間を全うすることである。そして、その間に自己実現をなし幸福追求をなすことがその目的であろう。今、我々には自律的に自由を追求する権利を既に手にしている。しかし、幸福を追求する機会を得て自己実現を必ずや成し遂げられる保証はどこにもない。すなわち、現代という時代を生きる我々は、観念上、その尊厳と権利において自由ではあっても幸福追求と自己実現を確実に為す自由はないのである。

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椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。