改憲議論2 新しい人権加憲説

憲法概論
09 /02 2019
 日本国憲法制憲(改憲)後、70余年の月日が経ち、その間に制憲当初には人権カタログに列挙されていなかった新しい人権が司法の法規創造的作用によっていくつかの人権が憲法上保障されるべき新しい人権として認識されるに至った。具体的には、プライバシー権と知る権利、そしてそれに準じるものとして環境権がその好例である。前2者は憲法上保障される新しい人権であるとしてまず異論なく、環境権についてもそれを新しい人権として認める向きが大勢を占めている。

 改憲を主張する者の中には、これら日本国憲法制憲後(明治憲法からの改憲後)に誕生し、広く認識されるに至った新しい人権を、明示的に日本国憲法の人権カタログに追加しようという主張がある。なるほど、解らない話ではない。近現代的憲法は権利章典の性質も有しているのであるから、保障されるべき人権カタログはより充実しているに越したことはない。

 では、この「新しい人権加憲説」は受容されてしかるべきものなのであろうか?

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改正議論1 日本国憲法時代遅れ説、または新時代適応憲法制定説に関する考察

憲法概論
08 /28 2019
 憲法改正議論ということになると真っ先に主張されるのが、「制憲後70余年を経た日本国憲法はその後の時代の変化に対して必ずしも適合しなくなってきたから改憲をすべきだ」とか、「令和という新時代を迎え、新時代にふさわしい新憲法を日本人自身の手によって制定すべきだ」という主張である。

 なるほど、確かに一般的には説得の力のある主張に一見思える。70余年という時間経過は実に3/4世紀に及ぶ期間であるし、特に最近20年は情報技術と交通手段の分野における劇的な技術革新によって、時空の長短・遠近という要素に人・物・金の移動の制限は大きく低下し、日本国憲法制定時とは国際社会を含めた周辺環境全体が大きな変化を生じたことは間違いない。また、世界中を席巻したグローバリズムの趨勢によって、その傾向は一層加速していった。そのような状況において、70余年前に制定された憲法が次代の変化に対応しきれていないと素朴に直観することは無理からぬところである。

 しかし、こうした時代の変化の中で、日本国憲法は本当に経年劣化を生じたのであろうか?また、昭和、平成を経て令和という新しい時代に我が国が歩みを進めたという事実は、改憲を後押しする原動力たり得るのか?これらについて考察を試みたく思うが、これを為すのは容易ではない。というのも、当該課題を検討するには、憲法史を含む憲法学の観点から憲法を眺める必要があり、更には、立憲主義が何たるかを知る必要があるからである。

 さて、「憲法とは何か?」或いは「立憲主義とは何か?」と問われた時、その問いに答えることはできるであろうか?

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改憲議論の整理

憲法概論
08 /22 2019
 3カ月の入院中治療中に書き溜めた原稿のほぼすべてをこちらのブログに書き写したので、これからは本ブログの本来の目的である改憲議論へと話を進めたく思う。

 過日の参議院選挙によって与党自民党が10議席程度減らし、連立を組む公明党が憲法改正について距離を取ったため少しトーンダウンした感はあるものの、今もってなお日本国憲法が制憲(改憲)時から最大の岐路に立たされていることには依然違いが無い。従って、現在展開されている改憲議論を整理した上で、各論に対する私的見解を順次述べることとしよう。

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犯罪と就職氷河期の相関関係について

所感雑感
08 /19 2019
 他人を巻き込んでの拡大自殺、親の子殺し、子の親殺し、近時目を覆いたくなるような凶行が後を絶たない。よくよくこれらの事件について見聞すると、ある共通点気付く。無論、いずれも非常極悪で、倫理的にも法的にも強要され得るものではないということは言うまでもないことだが、それ以外にも注目すべき共通点がある。

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自由と平等の弁証法的理解

所感雑感
08 /16 2019
 私的領域と公的領域を如何に線引きすれば自由と平等は両立するのか。自由は私的領域と親和性があり、平等は公的領域と親和性がある。蓋し、自由とは個人の選択の問題であり、平等はその選択の機会及び結果が社会において如何に顕現するかの問題である。その意味で両社は対概念、ないしは定立、反定立にあると考えることができる。そして私は、両者が止揚するとき、公正な幸福の実現が齎されると考える。

 経験は人生の特に節目において大きな影響を及ぼすが、常に人をより善い選択へと導く保障はない。人間存在は自己に属する自由を自律的に統御し、より善くあろうという意思を絶え間なく持ち続けることによってはじめて、自己の望むままに幸福を追求することができる。しかし、人間社会においては、しばしば自由は相互に対立・衝突する。そのため自由を制限して平等に享受する仕組みが要請される。

 各人が自己の能力に適応した自由を、平等に享受することではじめて個々人が生来的に備える可能性の翼を思うままに広げることができるのである。すなわち、自由をより善き方向へと引き絞る(これを私は自由率と呼ぶ)とき、幸福への道は開かれるのである。

椎央権太

日本国憲法の意味と真価を記録しておきたいと思い執筆しています。護憲的な記述が多く見えますが、不動の護憲派というわけではありません。憲法とは如何なるもので、改めるべき時宜はいつなのかということを書き残せればと思っています。